住職のつぶやき

戦没者慰霊祭

昨日は伊勢原市と遺族会による戦没者慰霊祭でした。伊勢原市の仏教会も毎年お手伝いさせていただいています。私も都合のつく限り参加しています。式のなかで過去帳の奉納があるのですが、今年は前日のリハーサルとき過去帳の中を見る機会がありました。そこには戒名(神道だとなんて言うのでしょうか)  、俗名、年齢、住所、戦死した場所などが達筆で記されていました。年齢は21歳、22歳、・・・当然のことながら、若い。戦死地、ルソン島、満州、など。沢山の若い命が散っていったことが妙に現実味を帯びて感じられ何とも言えない気持ちでした。遺された家族は何を思ったのでしょう。お国のためによくやった?

私たちには戦争をするかしないか選ぶ権利がある。民主主義国家だから。あの時代との大きな違いであって欲しい。

 

 

伝統技術

先日おみえになったTさんは和裁のプロで和裁は全てできるそうだ。Tさんが住んでいる街の創業80年の呉服屋さんがセールで仕立てた着物がよく見るとみせかけだけできちんとした仕立てではないのに驚いたという。人件費なの安いがいこくで人を集めて即席で仕込んで縫わせているらしい。私たちの代でこの技術も終わってしまうかもしれないと嘆いていた。こういう伝統技術を学ぶ若者や育てようとする店や企業に国は援助したらいいと思う。みんながみんな勉強が好きなわけではないだろう。勉強したくない子のために税金使う必要はない。マイスター制度等を充実させて技術を受け継ぐ若い世代を援助する方が若い人たちの働く場所も広がるのではないだろうか。

『ひよっこ』

『ひよっこ』NHKの朝ドラでご存知の方も多いと思うが終戦後、昭和30年代から60年代を舞台にしたドラマで私たち世代には懐かしい香りがするドラマだ。「田植えって前に進みながら植えるの?」とか、「あんなにいい雨具はなかったでしょ。」「うわ~、記憶喪失って、韓国ドラマかよ」などつっこみながら結構楽しんでみている。

今日は主人公の元先輩社員愛子さんの話だった。愛子さんは戦争で結婚を約束した人を亡くしている。恋人は戦地に赴くときに自分は生きて帰れないと思うから結婚はしないと愛子さんが泣いて頼んでも結婚してくれなかった。僕がいなくなっても君は幸せになるんだよ。そう言って帰らぬ人になった。そんな恋人を忘れられずに愛子さんはずっと一人で生きてきた。戦争を知らない子供たちがもうジジー、ババーになった現代、ちょっと変な隣人はミサイルを打ち続け、お仲間とされる人はおかしい人をまともに相手にして吠えまくっている。憲法を改正したいという意見もでてきている。「戦争は愛する人を失うんですよ。」そんな当たり前のことを思い出した人も多かったと思う。また、愛子さんは新しい恋を見つけて「自分にもこんな感情が残っていたんだ」って喜ぶのですが、これがすごくよかった。亡くなった人にとらわれてはいけませんよ。自分が幸せになることが亡くなった愛する人にとっても自分にとっても大事なんですよ。そんなふうに受け取ったのは私だけだろうか。

分骨

年の離れた従姉Eが亡くなった。若いころに結婚して子供をもうけたが子供をおいて離婚し、晩年は実家を手伝っていた。親が亡くなり、家業を継いだ妹が亡くなった時、本人はがんの末期だった。亡くなった妹以外に兄弟は無く、年若い甥、姪を煩わせないように、頼れる従妹に自分が自分のことをできなくなった時のことをすべてまかせた。入院も葬式もお墓もすべて自分で従妹の助けを借りて準備して逝った。すごいと思った。自分の死をそんなにしっかり見つめられるものなのかと。ほとんど昏睡状態になったEの見舞いに行ったとき「眠るのが怖いって言ってたんだけど今は薬で眠らせてる・・・」と付き添ってる従姉言った。やはりEは平然を装いながら死の恐怖と戦っていたのだなと思った。

亡くなってから実の息子が「分骨して欲しい」と言ってきた。それもなぜか親戚中で村八分状態の家を通じて。Eの実家の職場に乗り込んできて暴れたりしたことのある家なので、その家に伝えれば息子に連絡がつくとわかっていても死の間際になってもEはそこには連絡をとらせなかった。みんな息子の気持ちは理解できるのだが、間に入った家が何を企んでいるのかわからない。だれも返事ができない。どうして息子は直接連絡を取らなかったのか・・・残念だ。

土地区画整理事業

第二東名の伊勢原北インター付近の土地を計画的に開発しようという計画の会議があった。

どういう計画かというと、計画地域にある個人個人が持っている土地の一部をそれぞれが提供して資金を作り、それを使ってそれぞれの土地を再編成して、まとめて大きく使えるようにして企業に貸したり売ったりして利益を得る。区画整理をすると土地の価格が上がるので提供して少なくなった土地でも価値的には同じということらしい。私としてはこの計画には色々?がある。というより、そもそも寺には売却できるような余分な土地がないので一部を提供しろと言われてもその時点で困ってしまうし、土地の価値が上がっても売ることができる土地がないのだから、なんの利益も今のところ思いつかない。思いつくのはまた墓地や建物を移転するという超~~面倒くさい作業がまたあるのかもということだけだ。しかも今回は公共事業による接収ではないから下手をすれば費用は自分持ちか?

みんなよく賛成できるなぁと思っていたら今回の会議でちょっと見えてきた。一人の人が質問したのだ。提供した土地の売却益が事業費より多くて余った時は全員に分配返却してくれるのかと。目からうろことはこのこと。私はむしろ事業費が膨らんで負債をさらに割り当てられることを心配していたのに・・・。儲かるとは考えてもみなかった。前向きだなぁと妙に感心してしまった。でも、工事期間中の使えない土地に対しても市街化調整区域を外した新税制で固定資産税を徴収するという話にはさすがに怒る人がいた。市は個人に負担させて土地区画整備を進めてさらに使えない間の土地に高い税金までかけるのかと。

ようやく色々見え始めてきたのかな。それにしても議決権の83票のうち51票を会長が持っているような採決をしている状態の会議になっていることを委任状を出した人たちは知っているのだろうか?会長が義侠心にあふれ「ここは市のためにひと肌脱いで高い税金払おうじゃないか」って賛成したらそうなってしまうということを。

市は収入が欲しいのかもしれないがただ企業を誘致して目先の利益を得ることばかり考えていては本当の市の為とは言えないと思う。伊勢原市の良いところは何なのか?何を一番の売りにしたいのか?もう少ししっかり考えるべきではないのかなぁ。

 

夏休み

8月31日、夏休み最後の日だ。学校に行っていたころは必死で泣きながら宿題をやっていた日。そんなことと一緒に子供の頃の夏休みを思い出した。横浜にある母の実家に同学年の従兄がいて長期の休みになると泊りがけで何日間もお互いの家を行ったり来たりして過ごすのが常だった。朝から晩までずっと二人で遊んでいた。ボードゲーム、トランプ、夏には虫取り、花火も定番だった。彼は頭のいい人でいろんな遊びも考え出した。お手製すごろくは止まる目ごとに罰ゲーム的なおふざけ課題があるもので二人で大いに大盛り上がった。後年似たようなものを作って自分の子供や甥、姪と一緒に遊んだがやはり大うけだった。花火はプログラムを作って花火大会ごっこになった。あの頃はこんな夏が毎年くるものと思っていた。

いつのまにかお互いの家の行き来もなくなり大人になっていった。

そんな彼はもういない。数年前に心臓発作を起こし急死したのだ。その前年に彼の父親がその翌年に母親が亡くなり、一緒に過ごしたあの家も無くなった。

「変わらないものなどないんだよ」お釈迦様の言葉が心に響く。