住職のつぶやき

Jアラート

北朝鮮がミサイルを打ちまくっている。ふと以前話題になった騒音オバサンを思い出す。隣人が同じモラルを持っていないと暮らしにくいのは個人レベルでも国レベルでも同じなんだなぁと変な感心の仕方をしてしまう。まったく常識が違う人をどう説得するのか・・・困ったもんだ。

Jアラートが鳴ったら地下とか丈夫なビルとかに避難するようにという事らしいが田舎で地下もビルもない。どうしたもんじゃろのう。

ものみの塔

月に一度くらいか「ものみの塔」という宗教の布教の二人組が訪ねてくる。毎回、聖書の中の言葉を紹介してくれる。不思議なことに仏教の教えと通じるところが多々ある。人が幸せになるための教えというのは同じなのかなと思いながら毎回聞いている。実はすごく忙しい時に来られるとイラっとしてたぶんとっても失礼な応対をしていると思う。でも、きっと彼女たちに対しつっけんどんな応対をする人の方が多いのではないかと思う。門前払いも多いのではないだろうか。それにもめげずに布教活動を続けるってすごいなとも思う。真夏のくそ暑い中も、真冬のめちゃ寒い中も、何が彼女たちを動かしているのだろう。仏さんの教えをみんなが守っていったらすごく穏やかな暮らしやすい世の中になるだろうとは思うのだが、彼女たちのように布教活動に歩けるかと聞かれたら、どうだろう。仏教はこちらから与えていくのではなく、求められてそれだけでもこれだけ広がったというようなことを聞いた気がする。(あぁ、間違ってたらごめんなさい。勉強不足です。)

あ、ちなみに私、子供の頃教会に通ってました。お菓子をくれるので(笑)讃美歌歌えます(笑)クリスマスにはもみの木を飾ってました(笑)おおらかな親に育てられたことに感謝してます。

 

お棚経

八月のお盆が終わりました。13日から今日の午前中までかけてお棚経に歩きました。といっても私は運転手付きの車で、副住職が14日一日ですが朝から本当に歩きました。14日は激しい雨という予報を見て前日に副住職は長靴を買いに走り、竜神さんに「明日は雨が降りませんように」とひたすら祈ってました。そのおかげか雨はお昼頃少しパラついた程度でした。

私がお棚経に回るようになって10年ほどたちます。毎年回っていると色々楽しみがあります。その一つがY家の子供たちの成長です。毎年きちんと後ろに座ってお経を聞いてくれる子供たちと、終わってから二言三言言葉を交わします。先代の時からのお約束でたいてい「宿題終わった?」「坊さんがきたから夏休みもあと少しだよ」というおどしなんですが(笑)今年は赤ちゃんに近かった上の子が中学生になり、影も形もなかった下の子が小学生になった報告をしてくれました。ほかにも今年はA家では初夏に生まれた初孫を紹介してくれました。健やかに育ちますようにとお祈りしました。K家では双子が誕生し子供が4人になっていました。O家ではひ孫がよちよち歩きで出迎えてくれました。子供の姿があるのはなんともいいものです。驚きとともに超嬉しかったのがT家で迎えてくれたイケメン兄弟です。何年か前にあった時、まだ小学生でしたが、まぁそれはハンサムでこっそりジャニーズに売り飛ばそうかと思ったほどです(笑)二人ともすっかり大人になっていました。上の子はもう社会人で、下の子も高校卒業だそうです。そして、今年何より嬉しかったのはN家に絶縁状態だった娘さんがお盆の間ご主人と子供を連れて帰ってきていたことでしょうか。数年前から少しずつ連絡が取れるようになってはきていたようですがこんなに長く滞在するようになっていたとは。Nさんがそれはそれは嬉しそうで私もとっても嬉しくなりました。

副住職の嬉しかったことは雨がひどくならなかったこと・・・というのは冗談で、M家に行ったらずっと帰ってこなかったお孫さんが顔を見せにきて今度子供を連れてくると言ってくれたという話だそうです。Mさんが両親をなくした幼い孫を一人で苦労して育て上げたのを知っているのでこんなに嬉しいことはありません。

お経をあげながら「どうぞこの家をお守りください。」私はそう願っています。

アルバイト

「帰りの切符をなくしてしまったのでお金を貸してください。」「もう三日も食べてないんです何かください。」「(首からさげたボードをみせる)僕は話せません・・・」色んな理由で物乞いに来る人がいる。

今日は「アルバイトさせてください。」とやってきた。何年か前に草むしりをさせてもらったという。そういえばお寺さんたちの集まりで物乞いに来る人の話が出た時に「そういう時は仕事させなきゃ」と言われて、そういうものかと納得した直後に訪ねてきた不運な物乞いがいた気がする。今はお盆前で、すでに境内も墓地もきれいにしてあり、ほとんどむしる草などない。でも「じゃぁ、ちょこちょこ出てきている草を片付けてください。水分補給して、休み休みやって下さいね。」とペットボトルのお茶を一本渡した。

何年か前に真冬に来た人は「失業してしまって、これから七沢の方まで行くのだが・・・」と言って申し訳なさそうに無心した。少しのお金とお菓子、そして真冬だったので先代が遺した使ってない暖かい下着をいくつか渡した。それから一年ほどたって私の留守中にその人は訪ねてきた。「あの時はもう死んでしまおうかと思っていたのですが、あの時よくしていただいて、思い直して寿町のボランティアを頼りやり直すことが出来ました。」とお礼を言いに来たのだそうだ。これは住職になってから嬉しかった話のベスト1だと思う。

さて、アルバイトのおじさんはどうしているかな。いくら曇っていてもこの時期のこの時間帯(現在昼の二時半くらいです)に長時間の外仕事はさせられない。私もそこまで鬼じゃないから。

愚か者

読売新聞、面白いです。

原爆忌

今日は広島の72回目の原爆忌だ。原爆資料館を修学旅行先にして子供たち全員に見せるべきだと私は思っている。沢山の子供たちが見ることで核兵器の恐ろしさを知り核兵器の廃絶を思う子、放射能の恐ろしさを知り、放射能の無害化を生み出す人になろうと思う子が生まれるかもしれない。遊園地や一般の観光地は少し年がいけば自分たちで勝手に行くだろう。感性が豊かで素直に感じることができる子供のうちに原爆資料館に行き、唯一の被爆国の子供として見て学んで感じて考えて欲しい。

犠牲になった多くの尊い命の為に合掌。