住職のつぶやき

年賀状

お年玉付き年賀ハガキの当選番号が決まりましたね。年賀状だけのお付き合いになってしまっている人とは一年かけて会話をするような年賀状になってきていたりしますが、それはそれでいいかなと思っています。色々な年賀状が来ましたが、今年うちで一番うけたのはこの3月で90になる叔母からの賀状です。新春の挨拶に添えて手書きで「大変お世話になっております。厚く御礼申し上げます。私はどんどん耳が悪くなってきました。長生きかナー」とありました。「すでに長生きだろ!」と家族みんなでハガキに突っ込みをいれたのは言うまでもありません。ちなみにこの叔母は80過ぎて水泳のインストラクターの資格をとり、今も週に何回かプールに通い4種目泳いでくるそうです。4種目にはバタフライも入ってます。脱帽です。還暦なんて鼻たれですね。頑張ります。

「ずっと幸せでした。ありがとう。」

高校時代の同級生に頼まれてお父様の葬儀の導師を務めた。同級生というご縁でこんな大事な役目を私に頼んでくれたことは大変嬉しい事だった。故人は満90歳でいらしたので大往生とはいえ、ご遺族の悲しみが大きいことに変わりない。お花入れのお別れの場は涙にあふれていた。同じく90歳だというお母様が棺の中のご主人に「ずっと幸せでした。ありがとう。」と語りかけていた。友人が最後にお父様からかけられた言葉も「ありがとう。」だったという。私も「ありがとう。」と言われて人生の幕を引きたい。また、「ありがとう。」という言葉を残してこの世を去りたい。

緊急事態宣言

緊急事態宣言が出てしまいました。先日、報道番組で伊勢原の東海大学病院でコロナ患者用の重症病床がもうあと1床しかないとやっていました。また、緊急治療を要する患者が搬入されたときにコロナ患者の搬入と重なると一刻を争う状態でも搬入を待たなければならないとも。医療崩壊というのは具体的にこういうことなんですね。

コロナ収束の為に自分ができる事をするしかないのでしょう。というわけでヨガ教室をしばらくお休みとします。初本尊会も役員さんだけの出席となります。

普通がいつ戻ってくるのか。それまでがまん、がまんですね。

明けましておめでとうございます。

明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

今年の私のプライベート年賀状はこれです。『鬼滅の刃』をちょこっと拝借いたしました。疫病をもたらす八匹の鬼を鬼殺隊が退治してくれないだろうか。珠世さんが薬を作ってくれないだろうか。そんなことをオタク住職は考えております。新型コロナが一日も早く終息することを願います。良い年となりますように。

今年の漢字『学』

昨年の漢字は『漬』でした。梅干し、長野のスンキ漬け、金沢のかぶらずし、色々漬けて楽しみました。

今年の漢字は『学』です。色々なことを学びました。今まで知った気になっていたことが実際にはわかっていなかったということを学びました。「普通が一番」亡くなった父がよく言っていた言葉です。目立ちたがりの子供だった私の行動を縛る言葉でした。ちょっと意味が違うかもしれませんが今年は新型コロナの為に普通ではない生活を強いられました。マスクの着用、三密を避ける、会食をしない、など。沢山の人が病気以外に発生した影響で困窮しています。「風が吹くと桶屋が儲かる」飲食業は名指しで営業を制限されていたのでもちろんですがアパレル業界、クリーニング店、色々なところに影響が及んでいます。こんな風に影響が拡がっていくとは考えていませんでした。生活困窮者が急増しているといいます。生活困窮者と言えば、日本では自分から申請しないと生活保護などの助けが受けられないということは「成年後見人」の勉強をしたときに聞いてはいたのですが、自分から申請できる能力すらない人もいる、むしろそういう人たちこそ本当に公的な助けが必要なのだということも知りました。アメリカから一時帰国した友人が言ってました。彼女はトランプ支持者が多い街の富裕層の一人です。「オバマケアみたいなことをしたら働かない人間を甘やかすだけよ」働かないのか働けないのかそこが大きな違いです。私の知っている生活困窮者は働けない人だと思います。料理ができないので食費を節約できない。節約を考えられない。実際に見るまでそういう人がいるとは思いもよりませんでした。中学生の時、何をしでかしたのかは忘れてしまったのですが、普段すごく穏やかな女性の理科の先生に「みんながあなたと同じようにできるわけではないんだから!」とすごい剣幕で叱られました。あれから50年近くたってようやくその意味を理解しました。運動能力や音楽の才能は持って生まれたものだと思っていましたが、それ以外も人にはそれぞれ与えられたものがあるということです。持って生まれた能力も生れ落ち育った環境も与えられたものなのです。何年か前の東大の入学式で社会学者の上野千鶴子さんが「・・・恵まれなかった人をさげすむのではなく、恵まれなかった人たちの力になるように・・」というような祝辞を送ったことを思い出しました。普通に物事を理解し対処できる能力、普通に食事をし必要な物を買える環境、特に恵まれていると思ったこともなかったこの普通がありがたいということを還暦を前にようやく学んだのでした。

ところで給付金10万円はどうしました?お陰様で私は収入に減少は無かったので何か所かに寄付をして旅行に行って外食をしてほぼ終わりました。正しい使い方ができたかと思います。焼肉屋さんを営む檀家さんが、「狂牛病とか色々な試練を乗り越えてきたけど今度こそもうダメかもしれない」と言ってました。感染者が増えている時に言うのもまずいかもしれませんが、家族で食事をするなら家でも店でも同じかなと思います。給付金がまだ残っていたら無くなったら淋しいと思うお店で食事をしてください。こういうときこそ思いやりをもって助け合っていきましょう。

壺を買う

副住職と交わす冗談に「壺を買う」というのがあります。すごく困った状況に陥った時に「うわぁ、壺買っちゃいそう」という感じで使います。『きのう何食べた?』という、ドラマにもなったよしながふみのマンガの、主人公のイケメン弁護士の母親が自分の一人息子がゲイだとわかって何とかしようと新興宗教に走り壺を買うなどして老後の資金を使い果たすというエピソードから来ています。仏さんの教えは自分の努力の上に祈りが通じるというものだと私は理解しているので、壺を買うだけで自分の思い通りなるというのはナンセンスの極みだと思っています。でも、そういうところに助けを求める人はたくさんいるようです。うちの檀家さんにも何人かいます。この間も某新興宗教の信者でもあるTさんが寺に駆け込んできました。「家に帰ったら家中血だらけでケンカしていた息子たちがいない。怪我をして救急車で運ばれたようだ、どうしよう。ずっと神様にお祈りしていたけどいてもたってもいられなくてきた。」留守番していた副住職があちこち電話しまくって運ばれた病院をつきとめ、私に連絡をよこしました。「Tさんの息子さんたちが救急で〇〇病院に運ばれたみたいだから行ってあげて」私は何だかよくわからないまま外出先から急遽戻りTさんを拾って病院に。病院に着くともう帰ったという。今度は帰ったという息子たちを探しに・・・。という大騒ぎがありました。その日の夜、副住職と話しました。「Tさん、ずっと神様にお祈りしていたんだってさ。」「神様が坊さんを助けによこしたって思ってる?」「・・・・壺買っちゃいそう」