サクランボに喜んでいたと思ったらもう夏も終わって秋。暑くて(秋なのか?)と思うのだが暦の上ではすでに10月。
この夏は大阪万博もあり、いつにも増して盛りだくさんてした。(「夏の忙しい時になんで万博?」と怒られました。)
小学生の時に連れて行ってもらったEXPO70が忘れられずに行ってきました。気温38度という信じられない暑さでした。これから万博に行くという友人に情報を求められても「◯◯は並ばずに入れて中が涼しいし座るところもある」「◯◯は並ばずに入れるけど冷房があまり効いてなかった」「◯◯は冷房が効いて座ってご飯が食べられる。メチャ高いけど。」と秋に行く人にはあまりお役立ちでないことしか思い出せませんでした。抽選で当たって入れたガンダム、PASONA、NTT館はやはり規模が違い見応えがありました。ガンダムは遊園地のアトラクションのようでした。PASONA館のiPS細胞の心臓が動く様子は不思議な感じでした。カテーテル操作を体験しましたが、自分の意外な才能に驚きました(笑)。NTT館で立体映像のパフュームを見て(すんごい可愛い!)と感動したところだったので先日のコールドスリープ発表には驚きました。それにしても、ひたすら暑かった。なんで会期を夏にしたんだろう。冬の方がまだ良かった気がします。
大施餓鬼会では3年ぶりに寺の梅で漬けた梅干しを少しずつですがお配りできました。暑い中、足をお運びいただきありがとうございました。
お棚経では毎年顔を合わせる子ども達がスクスク育っている姿を見て元気づけられました。
今年は塾の夏期講習の仕事も多く副住職達に負担をかけてしまいました。反省。
例年以上に暑い夏をお陰様でなんとか乗り切りました。
「住職、明日あたりサクランボが食べ頃てすよ。よかったらどうぞ採りにきてください。鳥との競争です。」檀家のFさんから2年ぶりにのお誘いをいただいた。サクランボは大好きな果物の一つ。「私が死んだらお供物はサクランボにして」「じゃあ、サクランボの季節に死なないと」なんて会話を家族と交わすほど。なので、もちろん、喜んでいそいそ出かけて行きました。「ちょっと粒が大きくなった?」「少し枝を切ったからかな。」そんな会話をしながら思う存分サクランボ狩りを堪能。サクランボが不作だった昨年はFさん家も例外でなくサクランボが駄目でお誘いが無かった。寂しかった。今年は去年の分まで楽しませていただいた。Fさん、毎年気にかけてくれてありがとう!
「嫌なら出ていけ!ここは俺の家だ!住職が暮らす為の場所だ!」これは反抗期の私が父親によく言われた言葉。その通りだから何も言えなかった。ひたすら悔しかった。誰かに依存して生きてはいけない、とこの時に強く思った。
第二次世界大戦は原油の輸入が制限された事が大きな原因だったと何かで読んだ。私達の主食であるお米を輸入に頼る事になったら日本はもうおしまいだと思う。命を外国に握られるのだから。優秀な政治家さんたち、しっかり考えて下さい。
先日、京都で午後2時から会議という日がありました。せっかく京都に行くのにその前日も翌日も仕事が入っていて宿泊はできない、せめて早い時間の新幹線で行って少し観光しようと思ったのでした。ところが、当日は雨の予報。もういいや、ゆっくり会議に間に合う時間で行こう、と思ったのになんとちょうど良い時間の新幹線が満席。京都在住の先輩に遊んでもらおうと声をかけてみたのですがすでに予定が入っているとのこと。こうなったらどこか遊べるところをと探したけれど…。行きたいと思っていた京都国立博物館はその日は開いてるのは庭だけ。じゃあ、何年かぶりに二条城と思ったらお休み。しかたがない、やってみたかった体験コーナーはできないけど京都伝統産業ミュージアムに行くか、と早い時間の新幹線で出かけたのでした。ところが、京都に近づくと晴れてる。天気予報を再確認するとお昼ぐらいまでは雨は降らない。車窓から桜が咲いているのが見えた。調べると山科疏水に桜並木がある。毘沙門堂の枝垂れ桜も昨日散り始めたとあった。というわけで、急遽行き先を山科に。行き方も全部スマホが教えてくれる。本当に便利な世の中になりました。
山科疏水沿いに咲く菜の花と桜が綺麗でした。これが有名な「琵琶湖の水止めたろか?」の琵琶湖の水かと妙に感動。毘沙門堂の枝垂れ桜は残念ながら前日の雨で全て散ってました。でも、毘沙門堂の本堂にある何百年も前のトリックアート襖絵、取り次ぎたくないお客様を待たせる部屋(襖絵が梅に鶯ではなくヒヨドリ?で取り合わないというシャレになっている)、などおもしろく拝観しました。ある部屋にお釈迦様の教えがわかりやすく書かれて壁に貼られてました。その一つに『過ぎてしまったことを後悔せず、まだ起こらないことを心配せず、今を一生懸命生きなさい』とありました。還暦を過ぎ、もうすぐ退職する私には心をうたれる言葉でした。「もっと勉強してちゃんと働けばよかった。」と今さら悔いてもしょうがないことを思い、「収入がなくなり物価が上がっていくのに暮らしていけるのだろうか。」と考えてもわからない未来におびえている今日このごろでした。「あぁ、この言葉を読むために私は今日ここに来たんだ」仏さんは時々こんなふうに導いてくださいます。

毎年4月8日の花まつりには本堂正面に花御堂を毎年飾っています。今年は本尊さんもお参りいただけるように本堂正面も開けました。するとお散歩の途中だというご夫婦がお参りに寄って「いつもは閉まっているのにお参りできて嬉しい」とおっしゃいました。そう言っていただけるとこちらも嬉しかったです。
通りに面した大門が開いている時は本堂正面が開いていて自由にお参りができます。どなたでもお寄りください。ここのところ市内で賽銭泥棒が多いためお巡りさんがよく立ち寄ってくださってますが気にせずお参りください。
うちの宗派でも女性の僧侶が増えた。私たちぐらいまでだと他に継ぐ人がいないからという感じで僧侶になる人が多かったように思うが、今の若い女性僧侶は自分の選択肢として選んで、男性と同じ修行をして僧侶になっている。時代が変わってきている。
なのに「女が法要に参加しているのはどういうことか?」と本山に信者さんから文句があった。女性僧侶はご遠慮いただこうかとなっているという。この話を友人にしたら「そんなことをいうのは後期高齢者のジジーじゃないか?病院の受付で大声で文句言ってるのはたいていジジーだ」とこれまた差別的発言。
男と女の間には深くて暗い川があるんでしたっけ?ん?これは、また、別の話し?
文句だけは届きます。女性僧侶の何が問題?と思う人は本山で御供養してもらう時に「女性僧侶が良いんですけど」と言ってみてください。