住職のつぶやき

Go toキャンペーン

夏のオリンピックを見に北海道へ行こうがオリンピック無いけどとにかく旅行しようになったけど感染拡大の為泣く泣くキャンセルした話は前に書いた通りです。経済を回すためにキャンセル料をはらってやるわい!と強がっていたのですが医療従事者である友人が「特別給付金が出たからキャンセル料出してあげる」と言って、その後「よしついでに陣屋でごちそうしてあげる」がGo toが決まると「どうせなら一泊しよう」となんと陣屋にご招待してくれました。「あらぁ、そんなの悪いわ」なんてことは私ももう一人の友人も言いません。「やった~!ごちになります!」と近くて遠い陣屋で一泊したのでした。ちなみに陣屋は伊勢原の隣の駅、鶴巻温泉にある老舗旅館です。将棋のタイトル戦の会場になったりします。そんな旅館の露天風呂付の部屋に泊まり地域共通クーポンでエステを受ける贅沢旅行。この数日後にNHKで陣屋の再生物語をやっていました。倒産寸前のところを様々な工夫で乗り越えて今に至るというドキュメンタリーです。珍しいことに部屋にテレビが置いてませんでした。「日常とは違う空間をお楽しみいただくため」だそうですが経費節約のいいアイデアだと思いました。もちろんわがままなおばさん達はテレビを持ってきてもらいました。百恵ちゃんのラストコンサートを「懐かし~」と大騒ぎして見て、部屋の露天風呂、大浴場を楽しみ、美味しい食事で私は今年最初で最後の松茸の土瓶蒸しを堪能したのでした。ありがとうK!

今回のスポンサーとなった医療従事者のKは総合病院である程度の責任あるポジションで働いています。サメみたいなやつで働いているか遊んでいるか常に動いています。私のようにボーっとしていることがありません。なんせストレス解消が料理です。ケーキやなんやら作って職場で配るのです。私みたいにお酒飲みながら韓流ドラマみるのとまったく違います。日頃命を預かる職場で緊張して働き、休みには海外旅行、芝居見物、スポーツ観戦と気分転換を図ってきた彼女ですがこのコロナでそれらがすべて封じられてしまいました。その上職場では感染を防ぐ為今まで以上の緊張をずっと強いられています。おそらく他の医療従事者たちも同じような状況でしょう。一日も早くこの状況が終息しますように。

 

 

席を譲る

電車やバスに乗った時席を譲ったことはありますか?よくせっかく席を立ってくれたのにかたくなに遠慮する人がいますよね。自分はそんな年じゃないと言いたいのか。でも、意を決して立ってくれた若い人の気持ちを考えるとそれってどうかと思うんですよね。だから自分はそういう時がきたら必ず感謝しながら座ろうと心に決めていました。こんなに早くその時が来るとは思ってなかったんですけど。先日、京都の地下鉄でお嬢さんが席を立って「座らはられますか?」と言うので、マスクの下に満面の笑みを浮かべながら「ありがとうございます。」と言って座りました。還暦前に席を譲られていいのかなと思いつつ。でも、こういう気持ちが若い人たちにあるのがとても嬉しくて降りる時にもお礼を言いました。ただ、お嬢さんは私の後頭部の黒髪を見て驚いたかもしれません。あのお婆さんは本当にお婆さんなのか。前にも書きましたが染めるのを止めたから前頭部が白髪で後頭部は黒髪のツートンカラーなんです。

母親

最近事情があって8050問題の家庭のおばあちゃんTさんのお手伝いを時々している。今日も40過ぎた息子が入院するための物をそろえるのを手伝って欲しいと頼まれて副住職と二人でTさんの買い物に。この辺りは車が無いと買い物に行くのも大変だ。それでもTさん、いつもは歩いてどこへでも行っている。車の窓から外を見て「熱がある時、病院に歩いた行って帰り、道を間違えて道に迷ったのがこの辺り」と笑いながら話す。80すぎてよくまぁあんなに歩けるものだと感心している。さすがに今回は買うものも多く我々の出番となった。少ないお金の中から息子の為にと買いそろえる。一通り買い終わって一旦帰宅して病院から渡されたプリントを見ながら確認。マスクを買い忘れていた。いつも買い物にいくFという店が安いからそこに行きたいというのでそこに行った。

Fで買い物をしているとその店で働いているMさんにばったり出会った。Mさんはフィリピンの人で亡くなったお子さんに戒名を授けて欲しいと数年前に寺を訪ねてきて、その後、年回事にやってくる。話をしているとこちらまで暖かくなるそんな人柄の人だ。私だとわかるとすごく喜んで「訪ねて行こうと思っていた」と言う。お位牌の字が薄くなってしまったからどうしたらいいか相談したかったと。今日はちょうど亡くなった息子さんの誕生日でどうしようかと語りかけたところだったと。メールアドレスを名刺に書いてもらった。家に戻ってメールを書こうとして(まてよ。日本語読めるのかな?)と疑問が浮かんだ。あまりに流暢に日本語しゃべるので外国の人なのを忘れていた。ひらがなで書いて、つたない英語で書いてメールした。ちゃんと伝わりますように。

帰り道、寺からお客さんが来ているとの連絡。大急ぎで寺に戻ると昨日法事を行ったY家のお嫁さんが息子さん二人を連れてきていた。息子さん二人は保育園児。お兄ちゃんの方が何か話したい事があるようだがなかなか話し出せない。ようやく出てきた言葉が「ごめんなさい」???「何がごめんなさいなの?」と聞き返した時にはママに抱きついてもう泣いている。なんとか聞き出すと、昨日法事の始まる前に寺に置いてあるおもちゃで遊んでいて壊してしまったという。ママの説明によると昨晩、夜寝る時にいきなり泣き始めた。理由を聞くとお寺のおもちゃを壊して黙って帰ってきたと言うのでじゃぁ明日ごめんなさいしに行こうとなったそうだ。保育園でも先生に「今日は帰ったらお寺にあやまりに行くんだ」と話していたという。ちゃちなおもちゃなのですぐに動かなくなる。壊されても何の惜しげもない、そんなおもちゃのためにずっと心を痛めていたのかと思うといじらしくてかわいくて笑いながらも涙が出てきた。「物はいつかみんな壊れるのだから気にしなくていいよ。」「ごめんなさいができて偉かった。」とほめることしかできなかった。副住職が、壊れたというおもちゃをちょっといじるとすぐに動くようになった。「ほら、大丈夫、動いたよ」というと顔が一瞬で明るくなった。仏さんが正直に言ったご褒美におもちゃを直してくれたんじゃないかと思う。なんていい子に育てているんだろう。

色々な子供、母親を見た日だった気がする。

Tさんの息子さんが回復して立ち直りますように。Mさんの息子S君、ママを見守ってあげてね。Yさん、いいお母さんですね。

勉強になるなぁ。

土地区画整理法に基づく意見書

伊勢原都市計画事業 伊勢原大山インター土地区画整理事業の施工地区に当山の土地、建物が入っており、かねてから計画からの脱退をお願いしていた。一つは不動堂と境内地で計画施行後も住宅地のなる区域の端に位置し、広さ形状も普通の民家と変わりない。もう一か所は葬儀の時の儀式を行うこともできる駐車場が付随している墓地だ。もともとこの計画により土地の価値が上がっても寺が土地を売るという発想はなくこの計画による手間、迷惑はあっても恩恵は何もない。計画の妨げになるならともかく両方とも施行予定地の端でそこが計画から外れても何ら問題はなく思われた。ずっと脱退をお願いしていたのに、なぜうちがこの計画に参加しなければいけないのか明確な理由を示してもらうことなく脱退を聞き入れてもらえないまま今に至っている。

先週、別の要件で寺に来た檀家さんがこの計画に「意見書」を出せますよと教えてくれた。では、だめもとで最後のお願いをしようと締め切り3日前から準備を始めた。一日かけてようやく書き終わり、最後の見直しをしている時に「ん?宛名は誰でなんて書けばいいんだ?」となった。「わからなければ聞きなさい。聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」という亡き母の教えに従って市役所に電話で確認をした。「神奈川県知事 黒岩祐治様」宛名を書き入れ、コピーをし、ようやく書類が整って封筒にも宛名を書こうとしている時に玄関のチャイムが鳴った。市役所のこの計画の担当者たちだった。

「意見書が提出されると計画に遅れがでる。」「遅れが出ると様々困ったことになる。」「意見書の言い分が通ることはほぼない。」「結局、意見書を出しても双方に利となることは無い」というのだ。何度か話をし、締め切り当日ギリギリまで悩んだ。寺としてはうちをこの計画から外して欲しいだけでこの計画自体に迷惑をかけるのは本意ではない。80%の地権者が賛成しているのだから。その人たちに計画が遅れたと恨まれたくない。「寺の土地は普通の人たちの所有地とは違うことは普通理解していただけます」という担当者の言い分を信じるしかない。意見書は提出されることなく終わった。

つい最近、この計画を先頭に立って進めていたうちの一人が亡くなった。この計画がうまくいくよう仏さんになって責任を持って見守っていただきたい。

 

 

予科練

朝ドラの『エール』のこの一週間は太平洋戦争戦時下が舞台背景だった。作曲家古関裕而をモデルとする主人公が作曲のため予科練の体験をするという回があった。出来上がった曲が『若鷲の歌』だ。「若い血潮の予科練の 七つボタンは桜に錨 今日も飛ぶ飛ぶ…」

「戦争はどこにいったの?」亡くなった先代(父)がお年寄りと話を始めるきっかけによく使っていた言葉だ。昭和3年生まれの父は親の反対を押しきって予科練に入った。「おれが14の歳には軍隊でもっとしっかりしていた」これもよく聞いた言葉だった。幼くて考えが足りない子供だった私は(自分から戦争に行くなんてバカだな。伯父さんは賢いから医学部に行ったのに)と思っていた。予科練は少年たちの憧れで、優秀なものしか入れなかったとドラマで知って驚いた。(終戦間際の予科練は誰でも入れたようだ。)父が小学生の時の話だ。朝礼か何かの時間で御真影に頭を下げてなければいけない時間があり、けっして頭を上げてはいけないと言われていた。「俺はな、本当にみんなが頭を下げているのか確認したくなったんだ。もし俺が頭を上げてるのがわかったとしたら、わかったそいつも頭を上げてたことになるから絶対怒られないと思って。」たしかに賢かったのかも知れない。国を大切な人を守るため難関をくぐり抜け予科練に入ったことは誇りだったのだろう。

太平洋戦争は父が特攻機に乗り込む3日前に終わったらしい。あと3日戦争が長引いていたら…。

高校時代からの友人たちに「朝ドラで予科練の話が出て父を思い出したよ」とLINEすると、Eちゃんからは「うちの父は医者なら徴兵されても最前線には送られないだろうから医学部に行きなさいと母親が商学部にいた父を医学部に転部させて医者になった」Kちゃんは「うちの父親は原爆投下第一目標だった小倉にいた。目標が長崎に変更になって助かった」とすぐに返信がきた。ちなみにEちゃんの父親は私の伯父の医学部の同級生、Kちゃんは同じ医学部のはるか下の後輩にあたる。何かのご縁で繋がって半世紀近くもつるんで遊んでいる。彼女らは「戦争が無くてありがたい。一生懸命遊ぼう!」とLINEを締めくくった。戦争がない今の日本に育ったことに感謝して生きてることを楽しみたい。

今年は感染症予防のため市の戦没者追悼式典が中止となってしまった。国のため大切な人のために戦争で命を落とした多くの人々がいたことを私たちは忘れてはいけない。感謝して心から冥福を祈る。

 

 

ヨガ教室再開

先週8日に久々にヨガ教室を再開しました。インストラクターの滝口先生を始め懐かしいメンバーが参加してくださいました。急に気温が下がり換気をよくしていると肌寒い状況でしたが楽しい時間を過ごせました。

何より嬉しかったのは檀家さんではない参加者の方が「お参りさせていただいていいですか?こうしてまた参加できたことを感謝したくて」とおっしゃって本尊さんにお参りしてくださったことです。教室をやって良かったと思いました。