住職のつぶやき

入院日記 4

入院時に言われた通り約一週間で退院となりました。

6日間絶食でした。最初の4日間はずっとウトウトしてました。獣は寝て治すんだなぁと自分も動物であることを再認識しました。

痛みも熱もなくなると暇です。緊急入院の為自分がするはずだった仕事を全て放り出してるので色々な方にご迷惑をおかけして申し訳ないのですが、なす術もなく暇でした。iPadを使ってディズニーのアニメ映画を4~5本見ました。アニメ映画と言えばディズニーという世代なので、満喫しました。今期のドラマも今までに無いほど見始めてしまいました。

退院して約一週間。お陰さまで体調も良く仕事も今まで通りにこなせています。

日々普通に過ごせる事の有り難さと、自分が急に動けなくなった時の対策をこうじておかないといけないと学びました。

入院日記 3

入院した部屋は四人部屋でした。無料の六人部屋は今は無いようです。みんなカーテンを引いてプライベート空間を作っています。だから同室の人の声は聞いても姿を見ることはあまりありませんでした。

そう、声は聞こえるのです。隣のオバサンはどうやら入退院を繰り返しているようで看護師さんたちとも顔見知りのようでした。主治医と思われる人が来て緩和ケア病棟へ移る話しとなりました。翌日には家族が来て必要書類を書くのにオバサンはそれすらできない状態のようでした。その翌日には病棟を移っていきました。あの「すみませ~ん」はナースコールを押せないほど具合が悪かったのかと思うと申し訳ない気持ちになりました。

熱も下がりお腹の痛みもなくなり食べない生活にも少し慣れたけど、血液検査の結果をみて「もう少し絶食ね」とドクターに言われガックリしていたら、斜め前のベッドのオバサンに看護師さんが「今日から食事ですよ。25日ぶりのお食事ですね。」と言ってるのが聞こえてきました。4、5日の絶食でピーピー言ってすみません。

退院前日には向かいのベッドに若いと思われる人が入ってきました。糖尿病のようで病気から引き起こされる様々なことの説明を受けていました。彼女はこれからの人生ずっと病気と付き合っていくのか。大変なことです。

私のスペースからは面会に来る若い男性との会話が漏れ聞こえていたと思います。葬儀を一人でやることになった弟子との会話が。「初七日は…」「火葬場が近いから…」「お経は…」「お別れの時…」……ごめんなさい。

 

入院日記 2

点滴に繋がれまだしくしく痛むお腹をかかえベッドに横たわっていると、うとうと寝ては目覚めを繰り返します。気のきく妹がテレビカードを差し入れてくれていたので、テレビの使い方を聞くと「明日の朝入れた方がいいので明日説明しますね。」と看護師さん。ここのテレビは見た時間ではなく日数でカウントされる方式でした。ちなみに翌日になっても看護師さんが説明に来てくれることはありませんでした。辺りを見回していたらテレビの使用説明書があり何とか使えました。Wi-Fi機能も兼ねているのは面白いと思いました。

入院した日も次の日も身体を拭くタオルが渡されませんでした。もしかしたら自分でシャワーを浴びないといけないのか?と思い看護師さんに聞くとシャワーはまだだめで身体を拭くタオルを貸してくれました。結局、シャワーは点滴が外れた退院前日まで使えず、それまでの間身体を拭くタオルも1日おきにしかくれませんでした。毎日お風呂に入りたい私はこれは絶食の次に辛かったです。

憩室炎という病気の為、炎症が治まるまで絶食となりました。食いしん坊の私には絶食はこたえました。テレビをつけるとやたらグルメ番組や食べ物のコマーシャルがやってます。好きな『DAIGOの台所』さえ見るのが辛い。絶対に食べ物が出てこない高校生向けの数学講座なんて見ちゃいました。サイン、コサイン、タンジェント~。驚くほど記憶にありませんでした。

となりのベッドのオバサンが(食事の内容が)毎回同じようなものばかりで食が進まないと看護師さんに訴えるのを聞きながら(食べられるならいいじゃん。ワガママだなぁ。)と思ったのでした。この隣のオバサンが時々「すみませ~ん」「すみませ~ん」と呼び掛けてくるのです。え?私に言ってる?私、何もしてあげられないし「ナースコール押しましょうか?」と言うと何も答える事なくナースコールを押しました。その後も何回かこのような事がありました。ナースコール押したつもりで話しているのか、認知症?すぐにこの謎は解けることとなりました。

続く

 

入院日記 1

京都から戻った翌日、アルバイトの塾に行く準備をしているとなんだかしくしくお腹が痛い。いつもの持病の癪でも無さそう。アルバイトを休む連絡を入れ、かかりつけ医に電話。救急車を呼んだ方がいいと言われ救急車を呼んだ。前回みたいに到着した頃には痛みが収まるんじゃないかなと思いつつ玄関に横たわり待機。前回の救急搬送騒動の話しをする時に「妹に、(家がちらかっていてみっもないので)這ってでも玄関まで行って待て、と言われて…」と散々笑い話にしたので今回は妹は無言でした。

残念なことに今回は笑い話にならずそのまま緊急入院、約一週間の入院生活となりました。めったに乗れない救急車の記憶もほとんどないのでかなり痛かったんですね。

実はちょっと前につぶやいた疎遠になってたあの叔母がその後急逝してお葬式の知らせが来てました。生前の事を考えるとお葬式に出るのもためらいがありました。他の親戚もほとんど出ないし。でも、お坊さんがそんなことではいけない、という葛藤の末出るつもりでいたんです。それがこうなって。仏様から無理しなくていいよと言われた気がします。それにしても、京都でのお勤めが無事終わって、アルバイトにも出かけてしまう前、家で具合が悪くなってよかったなぁと思います。

さて、金曜日の午後に入院して、点滴に繋がれる日々が始まりました。今は便利です。パジャマ、バスタオル、ハンドタオルのセットが1日550円です。汚れたら直ぐに取り替えられます。リンスインシャンプー、ボディソープ、歯磨きセットがついてきます。寺の法務も色々入っていて忙しい事からこれを利用することにしました。テレビはカード式。これにはWi-Fi使用も含まれています。で、これらの詳しい説明は夫にされたのかとりあえず私にはされませんでした。なんだか色々なことが説明されないまま入院生活が始まったのです。

立教開宗1200年慶賛大法要

10月8日から14日まで京都教王護国寺(東寺)で法要が行われ14日無事に結願成満いたしました。皆様のご助力に感謝いたします。

私も期間中、受付拝観案内や法要へ出仕させていただきました。

団参にいらした檀信徒さんたちの拝観案内をすることになり東寺についてのにわか勉強をしました。付け焼き刃の案内で申し訳なかったです。何度も行っているのにほとんど知らないことばかりでした。お大師さんがそれでは駄目だよと勉強する機会を与えてくださったのだとおもいました。案内所にいると合気道の演武をしてくださった由美かおるさんがいらっしゃって一緒にお写真を撮ってくださいました。小柄で凛としたたたずまいが素敵な方でした。

そして御影堂での法要には三光寺の僧侶三人全員で出させていただきました。ありがたいことです。お大師様が国の為に人々の為にお祈りした同じ場所でお勤めさせていただけたのは本当に嬉しいことでした。

今回、他の地区の女性僧侶とお会いする機会がありました。その中に有名な滋賀県石山寺のご住職がいらっしゃいました。美人で聡明で気立てがよくていっぺんにファンになってしまいました。うちの地区の子たちもですがみんなかわいくてしっかりしてます。これからは女性僧侶も増えていくのだろうと思います。

 

富士登山

いつ頃からか「いつか富士山に登ってみたい」と思っていました。足が悪くなってきてからは歩けるうちに登らないとという焦りがでてきていました。そこへ高校の同級生たちが富士登山を計画してくれました。でも、大山でさえ満足に登れないのに登れるんだろうか。昨年、尾瀬に行ったあとはしばらく歩くのに不自由する身体になってしまったのに大丈夫か。不安はいっぱいだったけど欲望に負けて参加を決めたのでした。弟子のユウフを荷物持ちに連れて行くつもりで。空身なんとかなるだろうと。

「訓練するように」という登山隊のリーダーのお達しを受けていたのですが、日々の積み重ねが大の苦手。それでも何とか時間を見つけては日向薬師さん、大山寺まで何度か登りました。「足が痛みませんように」「無事に富士登山ができますように」と祈りながら。登山予定日の一週間前に登山を試みた仲間が悪天候で途中で諦めて下山したという話を聞いてからは「お天気に恵まれますように」という祈りも加わりました。

荷物持ちをさせようとしていた弟子に逃げられ不安が倍増。するとリーダーが「荷物もってあげるよ」という優しいお申し出。すみません、すみません、と言いながら万が一に備える着替え、防寒着等を持ってもらうことに。

高校の同級生8名とその友人、従姉の計10人の登山隊。一泊二日、8合目の山小屋に宿泊し翌朝登頂しご来光を見るという計画。女性陣4人とリーダー副リーダーがカメさんチーム。後の男性4名はウサギさんチーム。5合目からは各チームが自分のペースで登りました。ウサギさんチームはあっという間に見えなくなりました。カメさんチームはゆっくりゆっくり、このペースなら高山病にまずならないだろうという速さで進みました。お天気は晴れ。風もあまりありませんでした。暑くてもうダメだぁとなると雲の中に入りひんやり。ほっとしました。それを何回か繰り返すと宿泊予定の山小屋に到着。ウサギさんチームはすでに酒盛り。

8合目から下をみると山中湖、相模湾、伊豆半島、駿河湾、素晴らしい眺めでした。影富士が綺麗に見え、その影はどんどん伸びていきやがて空との間に地球の影が。地球の影?天体に詳しい友人が一生懸命説明してくれたのですが私には理解できなかったので説明できません。そして夜になると下界のあちらこちらで花火が。花火といっても普段見上げるあの大きい花火が小さ~く、ライターの火花のように見えるのです。不思議な光景でした。山小屋の夜ご飯はカレー。美味しかったです。おかわり可で5杯食べた人がいたそうです。8畳ほどの板の間に布団が敷き詰められ雑魚寝。掛け布団は羽毛布団で快適でした。翌朝2時半に出発。夜明け少し前に山頂に到着。日の出を待ちながら昨日残したおむすびを食べました。🎶友達百人できるかな、百人で食べたいな富士山のうえでおにぎりを🎶という歌が頭の中で流れていました。お日様があがると歓声と拍手が。自分の国の国旗を振る海外の人も多くいました。明るくなってから最高峰剣ヶ峰へ。山小屋に戻って朝食。下山に備えて友人が足のテーピングをしてくれました。宝永山をまわって下山。6合目あたりで膝が痛み初めて、友人がスプレーをかけたりサポーターをはめてくれたり、リュックを持ってくれたりしました。足に負担がかからない歩き方をしてくれて何とかバスが出る5合目まで下山することができました。

友人たちの協力で死ぬまでにしたかった夢が一つ叶いました。持つべきものは友。感謝しかありません。

「こんなに良いお天気の富士山は珍しい」と言われるほどのお天気に恵まれたのは仏様の御加護と思います。ありがたい。

感謝の気持ちでいっぱいになった富士登山でした。