住職のつぶやき

私達はバカだと確認

前回imagineと題して自分が90歳過ぎの身寄りのない独り暮らし老婆で何十年も住んできた県営住宅をいきなり引っ越さなければならなくなったらどうする?という問いかけをしました。実際に檀家のMさんの身に起こったことで7月の下旬からその騒動に私と副住職の二人、三光寺シスターズは巻き込まれたのでした。

「Mさんが引っ越さなければならなくて、荷物の整理をしていて出てきた仏像をお焚き上げてして欲しいって言うから行ってきた。お布施をずいぶん包んでくれたよ。」と副住職。楽な暮らしをしているわけでもないのにいつも仏さんのことはきちんきちんとされる、ありがたいなぁと思ったのでした。その時に7月いっぱいで引っ越さなければいけないと言っていたので「手伝いが必要なときは声をかけてね」と言ってきたという。何も連絡がないので副住職が7月28日に様子を見に行った。何も準備していないという。Mさんの話が今一つわからない。そこからが大騒ぎ。県の担当者に確認すると7月いっぱいで引っ越してもらうことになっているという。引っ越し費用も振り込み済み。8月31日で建物全体のライフラインを切ります。Mさんはお金は振り込まれてないしそんな話は聞いていないという。通帳を見せてもらうと県から確かに振り込まれている。そして残高がほぼ0になっている。Mさんはお金はもう何もないと。

県に言っても「うちは確かに引っ越し費用を振り込みましたから。後は知りません。」市の福祉課、包括、社協、どこも、「うちでは何もできません。」という返事。8月31日でライフライン切れるって言ってるのに?日本の福祉どうなってる?国葬なんかに大金使っている場合か?

仕方がないから私達がお金使って引っ越しさせました。「立て替えておくから少しずつ返してね」と言って。この引っ越しが大変。そもそも生まれてこの方まともなお引っ越しをしたことがない二人で引っ越しを手伝おうということに無理があった。引っ越し先にはカーテンどころかカーテンレールも照明器具も無かった。ライフラインなどの手続きもしなければならない。

それでも何とかMさん自身とMさんの必要なものを引っ越しさせたのは8月31日ギリギリだった。

もう、これでお役御免と思ったらそうはいかなかった。引っ越しを機にMさんはどんどん弱っていった。口は達者だが動きも思考力も明らかに落ちてきており一人で1kmほど離れたスーパーに行くことも難しい、お金もない、行政に助けを求めるしかない状態になっていた。

また市の福祉課、包括に連絡をとることになった。その状態がずっと1ヶ月以上続いて今に至っている。お役所でも銀行でも何でも「個人情報なのでお身内の方でないと」というくせに赤の他人の我々に任せるのは何だろう?

そう、きっと、引っ越しを手伝ってはいけなかったんだ。「ライフラインを止めます」という県の脅しにまんまとひっかかってしまったけど、人が住んでいるのにライフラインを止めるわけがない。あの状態のMさんを見つけたら行政が動かないわけがない。

私たちが行政による福祉の手がMさんに届くのを遅くしてしまったのだ。きっと。私達はバカなんだなぁ。と今度の一件で再確認した。Mさんは私達が、引っ越し代まで出して引っ越しさせたことも忘れかけてる。私達はバカだなぁ。改めて思う。

imagine

想像してみて

あなたは91歳の老婆です

年相応に肉体も頭脳も衰えています

夫も子供も亡くし頼れる親戚も無く

県営住宅に一人暮らしています

長患いした夫の介護に貯蓄は使い果たし

月数万円の国民年金だけで暮らしています

歩くときには手すりにつかまり、時には杖をつき

エレベーターが無いので手すりにしがみつき階段を上り下りをしています

以前のように頭も回らず話の飲み込みも悪くなっています

物忘れもあります

30年以上暮らしたこの県営住宅が老朽化で取り壊されることになりました

県から引っ越し費用24万円を与えられ期日までに出て行くよう求められています

想像してみて

あなたは91歳の老婆です

パソコンもスマホも持っていません

使えません

頼れる人は誰もいません

24万円で30年分の荷物を片付け引っ越しをしなければなりません

 

 

贅沢なお夕飯

本山が京都の東寺なので年に数回行く。小田原着の新幹線が限られているので車中に食べ物を持ち込み夕飯にする事が多い。というかほぼ毎回そうだ。東寺から京都駅に行く途中にイオンモールがある。たいていここで時間調整しつつビールやお惣菜を買駅い込むことになる。コロナが流行ってからはテイクアウトできるお店もありけっこう楽しんでいる。

今日は久々に御使いものを買うついでに京都駅の『はしたて』でおぼろサバ寿司を買い、伊勢丹の地下で「この季節京都と言えば鱧」というようなキャッチコピーに乗せられて鱧の甘酢あえを、その他、牛スジ煮込み、ゴボウのサラダ、春巻きを買い、仕上げにホームで冷えたビールをゲットして車中に。どれもこれも美味しかった。と言いたいけどメインのサバ寿司が残念ながらいまひとつでがっかり。それでも全部食べて、デザートに亀末廣で買ってきたこの季節限定の葛焼で締めくくった。同行していた副住職が「美味しかったね~。イオンと違うね~。」と喜んだ。それはそうだよね。値段が違う。贅沢なお夕飯だった。ごちそうさまでした。

あ、ちなみに最近の京都のお気に入りはイオンモールに入っているジャックインザドーナッツというドーナツ屋さんです。関東にもあるようです。なのに、わざわざ京都から買って帰ってます。

私の京都は京都駅から東寺という狭い範囲です。

カルガモ救出

今朝早く電話が鳴った。7時前だった。どなたか亡くなったお知らせかとドキドキしながら副住職の電話応対に聞き耳を立てているとどうも話が違いそうだ。「(檀家さんの)Hさんからで、今寺の前にいるんだけどカルガモの雛が側溝に落ちたから助けるのを手伝って欲しいって」すぐに悠歩と三人で外に出るとHさんと作業着のお兄さんが道路脇の側溝の網を持ち上げのぞき込んでいる。カルガモが雛を連れて道を渡ろうとしていたので車を止めて道を渡らせたのだが雛が数羽側溝の網をすり抜けて落ちてしまったという。溝の奥からピーピー雛の鳴く声が聞こえる。でも奥に入ってしまっていて姿は見えない。何かいい手はないかと私たちがオロオロしていると作業着のお兄さんが素早い動きで一羽救出した。Hさんが受け取ると川に投げ込んだ。かなりの高さだったが着水すると雛は親カモの元へ泳いでいった。まだ数羽溝に残っている。声はすれども姿は見えず。通勤時間で交通量も多い。消防署に電話をしてみた。「誰かが飼っている物なら救助にいけるが野生の物は救助の対象外」とのこと。次に警察署にかけてみた。とりあえずおまわりさんが来てくれることになった。Hさんは仕事に行き、夜勤明けの作業着のお兄さんは声をたよりに別の網やマンホールの蓋を持ち上げ探し続けた。川を見るとカルガモのお母さんは雛たちを連れ下流へと移動を始めていた。ちょっとした堰のようになっているところで怖じ気づく雛が一羽、また一羽と母カモに促され下流へと飛び込んでいった。全部が下に降りると母カモは子供らと共にどんどん下流に泳いでいきやがて見えなくなってしまった。側溝からは時折雛の声が聞こえるのだが姿は見えない。と、そのときマンホールを開け探していた作業着のお兄さんがまた一羽捕まえた。洗濯ネットに受け取って川を見に行ったがやはりカモたちはいなくなったままだった。洗濯ネットに入れた雛をぶら下げ寺を出て下流まで見に行ったがカルガモ親子の姿はなかった。がっかりして寺に戻るとようやくおまわりさんが到着。事の次第を説明するとおまわりさんが下流を探してくれることになった。見つからなかった時は自然の生き物なのでそこで川に放すということで雛を連れていってくれた。いつの間にか雛を救出してくれた作業着のお兄さんはいなくなっていた。作業着の胸には『甲斐組』?という名前の刺繍が入っていたと思う。判断力、行動力がすごいなぁと感心した。雛のために夜勤明けにもかかわらずこんなに力を尽くしてくれる、きっといい仕事をする人に違いないと勝手に思い込んだ私です。お兄さんに仏さんのご加護がありますように。

今朝7時頃寺の前を走った自動車の運転手さん。「何やってんだ!危ないだろ!」と思われたと思います。『カルガモの雛、救出大作戦』のまっただ中でした。ごめんなさい。

梅仕事

前回からの続きです。

翌日Eちゃんの娘一家が来て梅もぎとなりました。年長さんになるEちゃんのお孫ちゃんが大喜びで梅を取るのを見ているだけでなんだかとっても幸せな気持ちになりました。孫がいるのを羨むのではなく自分の孫だと思って可愛がろうという決意は間違ってなかったなと思ったのでした。

後日、夫が本格的に梅をもぎ、最終的には60キロ以上になったかと思います。色々な人にもらっていただきました。梅が色々な物に化けました。じゃがいも、たまねぎ、焼き豚、パウンドケーキ、お煎餅、・・・ありがたいです。「取るの大変でしたでしょ?」そうおっしゃっていただけると報われます。(実際にもいでるのは夫ですが)

結局、梅酒、梅シロップ、梅ピクルスを仕込んで、20キロほどを梅干しに漬けました。今年もうまくできれば檀家さんたちにお配りできると思います。作業している時にいらしたお檀家さんが「梅干し楽しみにしてます。本当に美味しくて。大変な手間ですよね。作るのは。」と言ってくれました。それだけで作るかいがあります。

相手を思いやる言葉は本当に暖かい。

梅仕事前日

今年の梅シーズンは友人と友人の娘一家が来ての梅もぎツアーから始まりました。

前日おばさん三人組は「おごるから湯河原に泊まろう」というKちゃんのありがたいお誘いにのりそれぞれ仕事が終わってから湯河原の温泉旅館に集合。大正時代に建てられた、有形文化財となっている由緒正しいお宿。湯河原に住む同級生A君の紹介でお安くとても良いお部屋に泊めていただきました。私は大井町での法要後、お坊さんの格好のまま湯河原に飛んでいきました。一番乗りで源泉掛け流しの温泉を堪能。全員集合してから万葉公園にホタル見物。私が子供の頃には寺の近くにも蛍がいました。父が仕事帰りに捕まえてきて、明かりを消した部屋のなかに放し楽しみました。そんな懐かしい思い出があるせいか私は蛍がとても好きなのです。観光都市伊勢原を目指すならぜひ蛍を復活させて欲しいです。その後はA君のお店でクラフトビールをちょっと飲んで、これまたA君紹介のお店で散々飲んで食べてしゃべって閉店まで過ごしたのでした。もしかしたら閉店時間はとっくに過ぎていたのかもしれません。A君が迎えに来て宿まで送ってくれました。「Aさん、あんたのお友だちたちまだ帰らないのよ。何とかしてくれない?!」とお店から電話が行ったんではないかとちょっと心配しております。 Read More