住職のつぶやき

サクランボ2023

今年もFさんから「今年は早くてもう食べ頃です。よかったらどうぞ」とサクランボ狩りのお誘いがきた。ゴールデンウィーク前、4月にサクランボが食べ頃とは今年の桜がいかに早かったか改めて感じた。「わ~い!いつもありがとうございます!」高いところのも採れるように身長182センチの弟子も連れて早速出かけていった。赤く綺麗に熟した実を夢中で摘んだ。「住職、もう十分じゃない?」と弟子に言われるまで。

今年のサクランボは去年より少し粒が大きく甘味も少し多い気がした。Fさんに美味しかった報告をしながら感想を伝えると、今年は少し枝を刈り込んだんだという。植物も正直なものでその成果がすぐに出る。大好きなサクランボを思う存分食べられることはもちろんだが、毎年忘れずに声をかけてくださるFさんの気持ちがとてもとても嬉しくありがたい。

お葬式

先日、久しぶりに普通のお葬式があった。私の言う普通のお葬式とは来る人を限定しない昔ながらのお葬式。

コロナのせいで家族葬なるものがすごく増えた。ちょっと前までは家族葬というのは犯罪者とか人様に顔向けできないような生き方をしてきた人のお葬式の形だったのではないかと思う。私もすっかり忘れていたのだが年配の知り合いが「私は息子たちに普通のお葬式をしてちょうだいって言ってある。何にも世間に恥ずかしい生き方をしてないから。」と言うのを聞いて思い出したのだ。

テレビCMで「俺のお葬式は小さくていいから」とか何とか言うのがあるが、あれを見るたびにお前は何様?と思う。お葬式に人が来るかどうかはその人がどんな生き方をしたかではないだろうか。父が危篤状態の時、仲の悪い叔父が「どうせお前の親父の葬式になんて人は来ないと思うけど」と言った。お寺の葬式をどうしていいのかよくわからなくて、知り合いのご住職に「叔父にそう言われたのでたいして人は来ないと思うのですが…」と相談したところ、その事を漏れ伝え聞いた方が「何としても参列しなくてはと思って」と言って無理して葬儀にかけつけて下さった。

これはあくまでも私見。葬儀は宗教的な儀式としては人が来ようが来まいがやることは同じ。世間に対してどうするかは別の問題。人は一人では生きていけない。多かれ少なかれ色々な人にお世話になって生きていくのではないだろうか。葬儀はそんなお世話になった方々への最期のありがとうの挨拶の場ではないかと思う。

私がやりたいお葬式がある。御香典なし。お返しもお食事の振る舞いもしない。お茶とお菓子で時間のある人には故人を偲んでもらう。箱を置いておいて葬儀費用をカンパして貰ってもいいかも。本当にお別れをしたい人が来るお葬式。

今回、普通にお葬式をしたMさん。本当に沢山の人がお別れに来ていた。「人徳ですね。」とおっしゃる方がいた。その通りだと思う。

沖縄

格安ツアーを旅行支援でさらに安くしたもので沖縄に。

久々に飛行機に乗って「やっぱりパイロットになる方がいいよなぁ。(参照 NHK朝ドラ)」と思ったりして。スカイマークというお安い飛行機だったんですがスタッフは親切だし、チケットはピカチュウ柄で可愛いし、機内ではコーヒーとキットカットのサービスがあってなかなか快適でした。

一日目は世界遺産の城跡を見に。布積み、野面積み、相方積み、なんていう石垣の積み方を覚えてその後行く先々で知ったかぶりして話したのは言うまでもありません。日差しが強くて車はクーラーを入れて走ってました。

翌日はホエールウォッチング。これがメインイベント。いくら沖縄でもこの時期に船で海をかっ飛ばしたら寒かろうと思ったのですが、気温23℃、ピーカンの沖縄。目的地に着くまでは半袖Tシャツに救命胴衣、目的地に着いて二階のデッキに出るときには上着を一枚羽織りましたが全く寒くなかったです。海上をひたすら眺めてクジラを探すのですが、必ずしも見られるわけではないので、ひたすら祈りました。御本尊さんのご真言、お大師さんのご真言、繰り返し心の中で唱えながら海を見つめていました。そのかいあってなのかクジラが姿を現しました。時折潮を吹き、銀杏の葉のような尾を見せ潜っていきました。そしてまた、何もない海に。この繰り返しです。それでも5~6回ぐらいクジラは姿を見せてくれました。

午後に行ったかりゆし水族館は小さいけど展示に工夫がありとても楽しめました。那覇空港からも近くおすすめです。

最終日午前中は斎場御嶽に行きました。心配していた雨も現地に着くとあがり、運良くガイドさんも頼むことができました。うちなんちゅーのガイドさんはおばぁから聞いたという話も交えて一時間ほど案内してくれました。大事な祈りの場所に愚かしい戦争の傷跡があちこちに残っている様子には心が痛みました。

午後は首里城の復興ボランティアに参加しました。漆塗りをするための下地を作る為に石を砕いて砂にする作業です。と言っても紙コップ半分ぐらいの量、15分程でした。それでもほんの少しでも役に立てたと思うと嬉しくなりました。首里城が再建されたらきっとまた見に来ると思います。見せる復興は良いアイデアです。

暖かい沖縄に後ろ髪を引かれる思いで帰ってきました。斎場御嶽のガイドさんが沖縄では檀家というものがなくお葬式になると宗派関係なく好きなお坊さんを呼んでお経をあげてもらうと言ってました。沖縄で食べていけるかも。

 

そうだ!

寒さに震えながら朝勤行で本堂に行くと吐く息が白かった。温度計を見ると0℃を切っていた。その時私は思った「そうだ!沖縄にいこう!」

11月、家族の半数が流行に乗って病に倒れ、残り半数が濃厚接触者となった。失われた一週間のつけはその後アルバイトのピンチヒッターを断れなくなり週に3日プラスα働くという形で現れた。12月になると今までずっと無かったお葬式が次々と入った。10月に引いた風邪の咳がずっと治らず、とうとう咳喘息のようになった。オロオロ、バタバタしている内に年末年始。松飾りが取れるころようやく落ち着いてきて、寒さが身に染みた。そして「そうだ!沖縄に行こう。」となったのでした。

私は検査しても陰性だったのだが、それは検査キットの性能が悪いからで、あれは絶対コロナで一番の元凶だったと家族みんなに疑われている。

京都

本山が京都の東寺にあるので年に何回か京都にでかけます。京都駅と東寺以外ほとんど行かないのですが。今回の京都はコロナ前にほぼほぼ戻った感じでした。東寺の駐車場に観光バスがとまり修学旅行と思われる若者たちや外国人の方々も多く見かけました。駅もすごい人混みでスーツケースを手にした人も沢山いました。帰りの新幹線を予約しようとしたらほとんど座席がうまっていました。こんなことはコロナ後初めてです。空いてる京都も良かったな、なんて罰当たりなことを思ってしまいました。スミマセン。

 

一件落着

夏から関わってきたMさんは無事に担当地域の包括がお世話をしてくださることになりました。

環境が変わると認知症が進むと噂には聞いていましたが、Mさんはそれこそ坂道を転げ落ちるように進んでいきました。妄想から出ると思われる暴言には思わず腹がたちました。認知症の方を抱えるご家族の大変さを垣間見た気がします。ある日、いつものようにMさんがこれがないとダメなんだと言ってる飲むヨーグルトとコーヒー牛乳を持ってMさんを訪ねると「何しに来たんだ?」「(持ってきたもの)要りません!」「今までお世話になりました。もう来ないでくださって結構です。」と、慇懃無礼なご挨拶をいただいたのでした。包括の担当者さんも「もう私達だけで大丈夫です」というのでMさん騒動(?)はおしまいとなりました。

今回も色々勉強させていただきました。