八月のお盆が終わりました。13日から今日の午前中までかけてお棚経に歩きました。といっても私は運転手付きの車で、副住職が14日一日ですが朝から本当に歩きました。14日は激しい雨という予報を見て前日に副住職は長靴を買いに走り、竜神さんに「明日は雨が降りませんように」とひたすら祈ってました。そのおかげか雨はお昼頃少しパラついた程度でした。
私がお棚経に回るようになって10年ほどたちます。毎年回っていると色々楽しみがあります。その一つがY家の子供たちの成長です。毎年きちんと後ろに座ってお経を聞いてくれる子供たちと、終わってから二言三言言葉を交わします。先代の時からのお約束でたいてい「宿題終わった?」「坊さんがきたから夏休みもあと少しだよ」というおどしなんですが(笑)今年は赤ちゃんに近かった上の子が中学生になり、影も形もなかった下の子が小学生になった報告をしてくれました。ほかにも今年はA家では初夏に生まれた初孫を紹介してくれました。健やかに育ちますようにとお祈りしました。K家では双子が誕生し子供が4人になっていました。O家ではひ孫がよちよち歩きで出迎えてくれました。子供の姿があるのはなんともいいものです。驚きとともに超嬉しかったのがT家で迎えてくれたイケメン兄弟です。何年か前にあった時、まだ小学生でしたが、まぁそれはハンサムでこっそりジャニーズに売り飛ばそうかと思ったほどです(笑)二人ともすっかり大人になっていました。上の子はもう社会人で、下の子も高校卒業だそうです。そして、今年何より嬉しかったのはN家に絶縁状態だった娘さんがお盆の間ご主人と子供を連れて帰ってきていたことでしょうか。数年前から少しずつ連絡が取れるようになってはきていたようですがこんなに長く滞在するようになっていたとは。Nさんがそれはそれは嬉しそうで私もとっても嬉しくなりました。
副住職の嬉しかったことは雨がひどくならなかったこと・・・というのは冗談で、M家に行ったらずっと帰ってこなかったお孫さんが顔を見せにきて今度子供を連れてくると言ってくれたという話だそうです。Mさんが両親をなくした幼い孫を一人で苦労して育て上げたのを知っているのでこんなに嬉しいことはありません。
お経をあげながら「どうぞこの家をお守りください。」私はそう願っています。
「帰りの切符をなくしてしまったのでお金を貸してください。」「もう三日も食べてないんです何かください。」「(首からさげたボードをみせる)僕は話せません・・・」色んな理由で物乞いに来る人がいる。
今日は「アルバイトさせてください。」とやってきた。何年か前に草むしりをさせてもらったという。そういえばお寺さんたちの集まりで物乞いに来る人の話が出た時に「そういう時は仕事させなきゃ」と言われて、そういうものかと納得した直後に訪ねてきた不運な物乞いがいた気がする。今はお盆前で、すでに境内も墓地もきれいにしてあり、ほとんどむしる草などない。でも「じゃぁ、ちょこちょこ出てきている草を片付けてください。水分補給して、休み休みやって下さいね。」とペットボトルのお茶を一本渡した。
何年か前に真冬に来た人は「失業してしまって、これから七沢の方まで行くのだが・・・」と言って申し訳なさそうに無心した。少しのお金とお菓子、そして真冬だったので先代が遺した使ってない暖かい下着をいくつか渡した。それから一年ほどたって私の留守中にその人は訪ねてきた。「あの時はもう死んでしまおうかと思っていたのですが、あの時よくしていただいて、思い直して寿町のボランティアを頼りやり直すことが出来ました。」とお礼を言いに来たのだそうだ。これは住職になってから嬉しかった話のベスト1だと思う。
さて、アルバイトのおじさんはどうしているかな。いくら曇っていてもこの時期のこの時間帯(現在昼の二時半くらいです)に長時間の外仕事はさせられない。私もそこまで鬼じゃないから。
今日は広島の72回目の原爆忌だ。原爆資料館を修学旅行先にして子供たち全員に見せるべきだと私は思っている。沢山の子供たちが見ることで核兵器の恐ろしさを知り核兵器の廃絶を思う子、放射能の恐ろしさを知り、放射能の無害化を生み出す人になろうと思う子が生まれるかもしれない。遊園地や一般の観光地は少し年がいけば自分たちで勝手に行くだろう。感性が豊かで素直に感じることができる子供のうちに原爆資料館に行き、唯一の被爆国の子供として見て学んで感じて考えて欲しい。
犠牲になった多くの尊い命の為に合掌。
昨日大施餓鬼会が無事に終わりました。毎年の事なのに何であんなにバタバタしてしまうのか我ながら不思議です。きっと終わるとホッとしてそれで終わってしまうからかと。今年は反省メモを作って来年に備えようと思います。
今回の施餓鬼会でもそうですが、葬儀や法事の時にも一応お坊さんらしく法話をするのですが、あがり症のせいか、たいてい考えていたことがうまく話せずに終わります。元々仏教のお勉強が足りてないから引き出しが少ないというのが一番の原因かなとも思います。(だったらもっと勉強しろよと自分でつっこんでおきます。)
それでこの間コンビニで『あおぞら説法』で有名な寂聴さんの法話の大活字マガジンを見つけたので買って読んでみました。さすがプロの物書きでいらっしゃるから人の心をつかむ上手なお話です。仏さんのお話をわかりやすく皆さんが興味を持つようにお話になっています。「言わんとしていることは私と同じなのに(笑)なんて上手なんだ。みならわなくちゃ」と大変感心納得反省しました。そうは言っても簡単に同じようにはできませんねぇ。難しいものです。
その雑誌を読んだ直後に知人から西原理恵子さん(漫画家。『毎日かあさん』の作者。高須クリニックの高須院長の恋人?妻?)が書いた『生きる悪知恵』をいただきました。読んでびっくり。凄い。生きることの本質をついています。おげれつなところ乱暴なところも多々あるのですが「人が生きるってこういうこと」って教えてくれます。法話ってこれかなとも思います。興味のある方はぜひご一読ください。この本を読む前に西原さんの壮絶な半生がわかるものをチロっと読んでからの方がより楽しめるかもしれません。
寂聴さんより西原さんに感銘を受けている時点で…僧侶として大丈夫か私?
今日はお葬式でした。(と、途中まで書いたまま時間は流れたのでアップした日と違います。)
出棺の時にそれまで気丈に振る舞ってきた一人娘が泣き崩れました。お嬢さんの幼い子供達が「ママ、泣かないで」と語りかけていました。「ママは自分のお母さんが死んでとっても悲しいの。でもね、もしあなた達がママより先に死んだらママはもっともっと悲しくてもっともっと泣くよ。だから絶対先に死んではいけないよ。」子供達にそう言いたかった。葬儀や法事の時、子供がいるときはこう言いたいと思うのですが、友人の自殺したお嬢さんの事が思い出されて泣けてきてしまうのでなかなか言えません。でも、こういう席に来ている子供には何も言わなくても、人が死ぬことがどんなことか少しはわかるのではないのでしょうか。大好きだった人がいなくなること。死んじゃうとすごく悲しいこと。子供達が簡単に自殺しないためにも子供をお葬式に連れてきて欲しい。命の大切さを教える大事な機会だと思います。
先日亡くなられた小林麻央さんはすごいですね。病床にありながら最後まで自分にできることを精一杯なさって。法話で「今ある命を大切に日々ご精進ください」なんてしたり顔で言ってますが、あれは自分にも言い聞かせているのです。いつどこで死ぬのか誰にもわからない。明日かもしれないし、ずうっと先かもしれない。でもいつかその日は必ず訪れるのです。一生懸命生きましょう。自殺なんてしなくても人は必ず死ぬのです。