住職のつぶやき

土地区画整理法に基づく意見書

伊勢原都市計画事業 伊勢原大山インター土地区画整理事業の施工地区に当山の土地、建物が入っており、かねてから計画からの脱退をお願いしていた。一つは不動堂と境内地で計画施行後も住宅地のなる区域の端に位置し、広さ形状も普通の民家と変わりない。もう一か所は葬儀の時の儀式を行うこともできる駐車場が付随している墓地だ。もともとこの計画により土地の価値が上がっても寺が土地を売るという発想はなくこの計画による手間、迷惑はあっても恩恵は何もない。計画の妨げになるならともかく両方とも施行予定地の端でそこが計画から外れても何ら問題はなく思われた。ずっと脱退をお願いしていたのに、なぜうちがこの計画に参加しなければいけないのか明確な理由を示してもらうことなく脱退を聞き入れてもらえないまま今に至っている。

先週、別の要件で寺に来た檀家さんがこの計画に「意見書」を出せますよと教えてくれた。では、だめもとで最後のお願いをしようと締め切り3日前から準備を始めた。一日かけてようやく書き終わり、最後の見直しをしている時に「ん?宛名は誰でなんて書けばいいんだ?」となった。「わからなければ聞きなさい。聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」という亡き母の教えに従って市役所に電話で確認をした。「神奈川県知事 黒岩祐治様」宛名を書き入れ、コピーをし、ようやく書類が整って封筒にも宛名を書こうとしている時に玄関のチャイムが鳴った。市役所のこの計画の担当者たちだった。

「意見書が提出されると計画に遅れがでる。」「遅れが出ると様々困ったことになる。」「意見書の言い分が通ることはほぼない。」「結局、意見書を出しても双方に利となることは無い」というのだ。何度か話をし、締め切り当日ギリギリまで悩んだ。寺としてはうちをこの計画から外して欲しいだけでこの計画自体に迷惑をかけるのは本意ではない。80%の地権者が賛成しているのだから。その人たちに計画が遅れたと恨まれたくない。「寺の土地は普通の人たちの所有地とは違うことは普通理解していただけます」という担当者の言い分を信じるしかない。意見書は提出されることなく終わった。

つい最近、この計画を先頭に立って進めていたうちの一人が亡くなった。この計画がうまくいくよう仏さんになって責任を持って見守っていただきたい。

 

 

予科練

朝ドラの『エール』のこの一週間は太平洋戦争戦時下が舞台背景だった。作曲家古関裕而をモデルとする主人公が作曲のため予科練の体験をするという回があった。出来上がった曲が『若鷲の歌』だ。「若い血潮の予科練の 七つボタンは桜に錨 今日も飛ぶ飛ぶ…」

「戦争はどこにいったの?」亡くなった先代(父)がお年寄りと話を始めるきっかけによく使っていた言葉だ。昭和3年生まれの父は親の反対を押しきって予科練に入った。「おれが14の歳には軍隊でもっとしっかりしていた」これもよく聞いた言葉だった。幼くて考えが足りない子供だった私は(自分から戦争に行くなんてバカだな。伯父さんは賢いから医学部に行ったのに)と思っていた。予科練は少年たちの憧れで、優秀なものしか入れなかったとドラマで知って驚いた。(終戦間際の予科練は誰でも入れたようだ。)父が小学生の時の話だ。朝礼か何かの時間で御真影に頭を下げてなければいけない時間があり、けっして頭を上げてはいけないと言われていた。「俺はな、本当にみんなが頭を下げているのか確認したくなったんだ。もし俺が頭を上げてるのがわかったとしたら、わかったそいつも頭を上げてたことになるから絶対怒られないと思って。」たしかに賢かったのかも知れない。国を大切な人を守るため難関をくぐり抜け予科練に入ったことは誇りだったのだろう。

太平洋戦争は父が特攻機に乗り込む3日前に終わったらしい。あと3日戦争が長引いていたら…。

高校時代からの友人たちに「朝ドラで予科練の話が出て父を思い出したよ」とLINEすると、Eちゃんからは「うちの父は医者なら徴兵されても最前線には送られないだろうから医学部に行きなさいと母親が商学部にいた父を医学部に転部させて医者になった」Kちゃんは「うちの父親は原爆投下第一目標だった小倉にいた。目標が長崎に変更になって助かった」とすぐに返信がきた。ちなみにEちゃんの父親は私の伯父の医学部の同級生、Kちゃんは同じ医学部のはるか下の後輩にあたる。何かのご縁で繋がって半世紀近くもつるんで遊んでいる。彼女らは「戦争が無くてありがたい。一生懸命遊ぼう!」とLINEを締めくくった。戦争がない今の日本に育ったことに感謝して生きてることを楽しみたい。

今年は感染症予防のため市の戦没者追悼式典が中止となってしまった。国のため大切な人のために戦争で命を落とした多くの人々がいたことを私たちは忘れてはいけない。感謝して心から冥福を祈る。

 

 

ヨガ教室再開

先週8日に久々にヨガ教室を再開しました。インストラクターの滝口先生を始め懐かしいメンバーが参加してくださいました。急に気温が下がり換気をよくしていると肌寒い状況でしたが楽しい時間を過ごせました。

何より嬉しかったのは檀家さんではない参加者の方が「お参りさせていただいていいですか?こうしてまた参加できたことを感謝したくて」とおっしゃって本尊さんにお参りしてくださったことです。教室をやって良かったと思いました。

髪の毛

昨年末(髪の毛を染めるのを止めよう)とふと思ったのでした。40半ばぐらいから染めているので自分の髪がどのぐらい白くなっているのかわからないけど、父方の祖母や叔母が綺麗な白髪なのできっと自分もそうなっているだろうと思ったのでした。

染めるのを止めると当然のことながら頭頂部が徐々に白くなってきます。1月半ば頃に会った友人に髪を染めるのを止めたというと、それは途中経過が面白そうだと喜ばれました。確かにツートンカラーは面白すぎる。どうしたもんじゃろ?と悩んでいた時にカラーコンディショナーなるものを見つけました。シャンプーの後に使うだけで髪が染まり、使うのを止めると徐々に色が落ちていくというのです。なるほど、白い部分が目立たなくなりました。3月、コロナ騒ぎでアルバイトがお休みになったのを機にカラーコンディショナーも止めました。徐々に色が落ちて綺麗な白髪になる予定だったのですが…。途中経過が思った以上に長かった。紫のような色からピンクのような色を経て未だに変化を続けております。そして驚いたことに自分が鏡で見える部分はかなり白髪なのですが、よく見えない後頭部は結構まだ黒いということがわかりました。頭の上下で色が違うのは防ぎましたが、完成形は前後で白黒ツートンカラーのファンキーなお坊さんになりそうです。

土地開発

今、あなたが住んでいる土地を半分寄付してください。そうすれば新しい住宅地に新しい家を建ててあげます。しかもその土地は価値が上がって2倍いや3倍になるかもしれませんよ。と言われたらどうしますか?私は引っ越すのは大変だし価値が上がっても土地を売る気がないので結構です。と言いたい。言いたかったし、実際に何度も言ったのに聞き入れてもらえなかった。

減歩率50%を越えるこの計画、市が強力に推し進めている。しかし、最終的には地権者で作る組合が責任をおうというものだ。どう転んでも市は収入が増えるという画期的な土地開発事業。

これに80%の地権者が賛同したという。宅地だけではなく、もて余している農地もあったからか。率先して動いていた自治会の主要メンバーへの忖度も感じられる。実際に説明会会場でそういう発言をした人がいた。以前ここで同じく土地をめぐって問題が起きたとき、異議申し立てをした人が村八分にされ、そこの土地を去っている。彼はこのことを人権問題として市にも訴えたと思う。市があの地域はボスザルさえ手懐ければいいと考えたとしたら。私達は民主主義国家に暮らしているはずなのに。市の思うがままに事は進められた。説明会会場で個別訪問で承諾書を集めた市に「民主主義じゃない!」と抗議した人がいたが、賛成80%という数字に従うしかない。

願わくは工場や倉庫だけでなく観光客も地元民も喜ぶような温泉施設とか道の駅とかそういうものができて欲しい。

#伊勢原北インター上粕屋地区土地区画整理

社会貢献?

「これでしばらく様子を見ましょう。次は3か月後に。」歯科医師にそう言われて帰りがけ次回の予約を入れると12月1日にだった。(えっ!12月?もう?)2020年、オリンピックイヤーにわくわくしながら幕を開けたのに。年明け早々にコロナ騒ぎが起こり振り回されているうちに年末を迎え用としている。

この夏は伊勢原を走る聖火リレーを見て、横浜の国際競技場でオリンピックのサッカーを見て、昨年台風で行けなかった旅行を兼ねて高校時代の友人と三人で北海道でオリンピックのマラソンを見て、最後はパラリンピックを見に行って終わる予定だった。例年通りの塾の仕事、寺の仕事が入ったらめちゃくちゃ忙しいだろうけど自国開催のオリンピックは自分が生きている間にはおそらくもうない。死ぬ気で遊ぶつもりだった(笑)

オリンピックが延期になっても北海道旅行は残った。ぎりぎりまで。ぎりぎりで「首都圏から出かけるのはまずいよね。」泣く泣くキャンセルした。もちろんまたキャンセル料発生である。キャンセル料で観光業に貢献した。アゲイン(泣)

その功徳か寺の行事で感染者を出すことなく無事に夏を終えることができた。何よりである。そう思うことにした。