住職のつぶやき

分骨

年の離れた従姉Eが亡くなった。若いころに結婚して子供をもうけたが子供をおいて離婚し、晩年は実家を手伝っていた。親が亡くなり、家業を継いだ妹が亡くなった時、本人はがんの末期だった。亡くなった妹以外に兄弟は無く、年若い甥、姪を煩わせないように、頼れる従妹に自分が自分のことをできなくなった時のことをすべてまかせた。入院も葬式もお墓もすべて自分で従妹の助けを借りて準備して逝った。すごいと思った。自分の死をそんなにしっかり見つめられるものなのかと。ほとんど昏睡状態になったEの見舞いに行ったとき「眠るのが怖いって言ってたんだけど今は薬で眠らせてる・・・」と付き添ってる従姉言った。やはりEは平然を装いながら死の恐怖と戦っていたのだなと思った。

亡くなってから実の息子が「分骨して欲しい」と言ってきた。それもなぜか親戚中で村八分状態の家を通じて。Eの実家の職場に乗り込んできて暴れたりしたことのある家なので、その家に伝えれば息子に連絡がつくとわかっていても死の間際になってもEはそこには連絡をとらせなかった。みんな息子の気持ちは理解できるのだが、間に入った家が何を企んでいるのかわからない。だれも返事ができない。どうして息子は直接連絡を取らなかったのか・・・残念だ。

土地区画整理事業

第二東名の伊勢原北インター付近の土地を計画的に開発しようという計画の会議があった。

どういう計画かというと、計画地域にある個人個人が持っている土地の一部をそれぞれが提供して資金を作り、それを使ってそれぞれの土地を再編成して、まとめて大きく使えるようにして企業に貸したり売ったりして利益を得る。区画整理をすると土地の価格が上がるので提供して少なくなった土地でも価値的には同じということらしい。私としてはこの計画には色々?がある。というより、そもそも寺には売却できるような余分な土地がないので一部を提供しろと言われてもその時点で困ってしまうし、土地の価値が上がっても売ることができる土地がないのだから、なんの利益も今のところ思いつかない。思いつくのはまた墓地や建物を移転するという超~~面倒くさい作業がまたあるのかもということだけだ。しかも今回は公共事業による接収ではないから下手をすれば費用は自分持ちか?

みんなよく賛成できるなぁと思っていたら今回の会議でちょっと見えてきた。一人の人が質問したのだ。提供した土地の売却益が事業費より多くて余った時は全員に分配返却してくれるのかと。目からうろことはこのこと。私はむしろ事業費が膨らんで負債をさらに割り当てられることを心配していたのに・・・。儲かるとは考えてもみなかった。前向きだなぁと妙に感心してしまった。でも、工事期間中の使えない土地に対しても市街化調整区域を外した新税制で固定資産税を徴収するという話にはさすがに怒る人がいた。市は個人に負担させて土地区画整備を進めてさらに使えない間の土地に高い税金までかけるのかと。

ようやく色々見え始めてきたのかな。それにしても議決権の83票のうち51票を会長が持っているような採決をしている状態の会議になっていることを委任状を出した人たちは知っているのだろうか?会長が義侠心にあふれ「ここは市のためにひと肌脱いで高い税金払おうじゃないか」って賛成したらそうなってしまうということを。

市は収入が欲しいのかもしれないがただ企業を誘致して目先の利益を得ることばかり考えていては本当の市の為とは言えないと思う。伊勢原市の良いところは何なのか?何を一番の売りにしたいのか?もう少ししっかり考えるべきではないのかなぁ。

 

夏休み

8月31日、夏休み最後の日だ。学校に行っていたころは必死で泣きながら宿題をやっていた日。そんなことと一緒に子供の頃の夏休みを思い出した。横浜にある母の実家に同学年の従兄がいて長期の休みになると泊りがけで何日間もお互いの家を行ったり来たりして過ごすのが常だった。朝から晩までずっと二人で遊んでいた。ボードゲーム、トランプ、夏には虫取り、花火も定番だった。彼は頭のいい人でいろんな遊びも考え出した。お手製すごろくは止まる目ごとに罰ゲーム的なおふざけ課題があるもので二人で大いに大盛り上がった。後年似たようなものを作って自分の子供や甥、姪と一緒に遊んだがやはり大うけだった。花火はプログラムを作って花火大会ごっこになった。あの頃はこんな夏が毎年くるものと思っていた。

いつのまにかお互いの家の行き来もなくなり大人になっていった。

そんな彼はもういない。数年前に心臓発作を起こし急死したのだ。その前年に彼の父親がその翌年に母親が亡くなり、一緒に過ごしたあの家も無くなった。

「変わらないものなどないんだよ」お釈迦様の言葉が心に響く。

Jアラート

北朝鮮がミサイルを打ちまくっている。ふと以前話題になった騒音オバサンを思い出す。隣人が同じモラルを持っていないと暮らしにくいのは個人レベルでも国レベルでも同じなんだなぁと変な感心の仕方をしてしまう。まったく常識が違う人をどう説得するのか・・・困ったもんだ。

Jアラートが鳴ったら地下とか丈夫なビルとかに避難するようにという事らしいが田舎で地下もビルもない。どうしたもんじゃろのう。

ものみの塔

月に一度くらいか「ものみの塔」という宗教の布教の二人組が訪ねてくる。毎回、聖書の中の言葉を紹介してくれる。不思議なことに仏教の教えと通じるところが多々ある。人が幸せになるための教えというのは同じなのかなと思いながら毎回聞いている。実はすごく忙しい時に来られるとイラっとしてたぶんとっても失礼な応対をしていると思う。でも、きっと彼女たちに対しつっけんどんな応対をする人の方が多いのではないかと思う。門前払いも多いのではないだろうか。それにもめげずに布教活動を続けるってすごいなとも思う。真夏のくそ暑い中も、真冬のめちゃ寒い中も、何が彼女たちを動かしているのだろう。仏さんの教えをみんなが守っていったらすごく穏やかな暮らしやすい世の中になるだろうとは思うのだが、彼女たちのように布教活動に歩けるかと聞かれたら、どうだろう。仏教はこちらから与えていくのではなく、求められてそれだけでもこれだけ広がったというようなことを聞いた気がする。(あぁ、間違ってたらごめんなさい。勉強不足です。)

あ、ちなみに私、子供の頃教会に通ってました。お菓子をくれるので(笑)讃美歌歌えます(笑)クリスマスにはもみの木を飾ってました(笑)おおらかな親に育てられたことに感謝してます。

 

お棚経

八月のお盆が終わりました。13日から今日の午前中までかけてお棚経に歩きました。といっても私は運転手付きの車で、副住職が14日一日ですが朝から本当に歩きました。14日は激しい雨という予報を見て前日に副住職は長靴を買いに走り、竜神さんに「明日は雨が降りませんように」とひたすら祈ってました。そのおかげか雨はお昼頃少しパラついた程度でした。

私がお棚経に回るようになって10年ほどたちます。毎年回っていると色々楽しみがあります。その一つがY家の子供たちの成長です。毎年きちんと後ろに座ってお経を聞いてくれる子供たちと、終わってから二言三言言葉を交わします。先代の時からのお約束でたいてい「宿題終わった?」「坊さんがきたから夏休みもあと少しだよ」というおどしなんですが(笑)今年は赤ちゃんに近かった上の子が中学生になり、影も形もなかった下の子が小学生になった報告をしてくれました。ほかにも今年はA家では初夏に生まれた初孫を紹介してくれました。健やかに育ちますようにとお祈りしました。K家では双子が誕生し子供が4人になっていました。O家ではひ孫がよちよち歩きで出迎えてくれました。子供の姿があるのはなんともいいものです。驚きとともに超嬉しかったのがT家で迎えてくれたイケメン兄弟です。何年か前にあった時、まだ小学生でしたが、まぁそれはハンサムでこっそりジャニーズに売り飛ばそうかと思ったほどです(笑)二人ともすっかり大人になっていました。上の子はもう社会人で、下の子も高校卒業だそうです。そして、今年何より嬉しかったのはN家に絶縁状態だった娘さんがお盆の間ご主人と子供を連れて帰ってきていたことでしょうか。数年前から少しずつ連絡が取れるようになってはきていたようですがこんなに長く滞在するようになっていたとは。Nさんがそれはそれは嬉しそうで私もとっても嬉しくなりました。

副住職の嬉しかったことは雨がひどくならなかったこと・・・というのは冗談で、M家に行ったらずっと帰ってこなかったお孫さんが顔を見せにきて今度子供を連れてくると言ってくれたという話だそうです。Mさんが両親をなくした幼い孫を一人で苦労して育て上げたのを知っているのでこんなに嬉しいことはありません。

お経をあげながら「どうぞこの家をお守りください。」私はそう願っています。