家族葬

家族葬

「家族葬について住職としての見解を聞かせてよ」と親しくしている檀家のAさんから言われて「うん、そうねぇ・・」とあいまいな返事をしたままあっという間に時間が流れた。相変わらず仕事が遅いと思われているだろうなぁと思いつつもなかなか書けない。一言で言えば「お施主さんが好きなようになさればいいんじゃない」というところだ。弔問客が一人だろうと、何百人いようと僧侶として私のやることはかわらない。変わるのはお経のながさぐらいだから。でも、Aさんが聞きたいのはそんな事ではない。「すごく世話になった方が亡くなったのに家族葬だったから知らせも来ず最後のお別れもできなかった。こういうお葬式ってどうなの?」ってことだと思う。私も友人が亡くなって家族葬で送られてお別れができなかった。何だかすごく釈然としないものがあった。なんでなんだろう。色々考えてみたのだが、お葬式って亡くなった人と遺された人が最後に交わす挨拶の場なのかと思う。亡くなってもう二度と会えないということをかみしめながら、「この世を去りますよ、今までありがとう」、参列する人間も、「今までありがとう、さようなら」と。そう考えると、残された家族は故人が生きてきた中で関わってきた方々に感謝してお別れの場を設けてもいいのではないかと思う。葬儀屋さんが言うには家族葬だろうと普通の葬式だろうとお施主さんの出す金額はあまり変わらないそうだ。ただ、人を呼ぶとなるとそれなりに煩わしいことが多くなるのは事実だろう。そうなるとやはりお葬式を出す人がどうしたいかになるのかなぁ。あっ、振出しに戻った・・・。
(これはあくまでも僧侶ではなく一個人としての考えです。念のため。)