住職のつぶやき

小室圭さん

ミーハーな話題で恐縮ですが、秋篠宮家の眞子様とご婚約される小室圭さんが、私が結婚以来二十年近く暮らしたマンションのすぐそばのマンションにお住まいということで、横浜時代の近所の友人たちと盛り上がり色々な情報が入ってきます。圭さんがアルバイトしていたのはどこそこのお店で卒業された時にはきちんとお母様と挨拶にいらしたとか、お母様が障害者支援のお店でボランティアなさってたとか・・・。色々なことが公になっていく。怖いですねぇ。私なんて何を言われるかわからないのでこういう立場にはとてもなれません。いや、もともとなる要素がないですが(笑)小室さんのお住まいのマンションの入り口には常に警察官が立っているようです。近隣の治安が良くなってありがたいです。色々大変なことが多いことでしょうに、お若くしてこの決断をなさったのは素晴らしいと思います。どうぞ若いお二人が末永く幸せでいらっしゃいますように。僭越ながら心よりお祈り申し上げます。なんだか近所のおばちゃん気分です。

ボクシング

 一昨日、珍しく夢中で村田諒太vsアッサン・エンダム戦をみた。村田は常に前進し、エンダムは後退していた。エンダムは何回か倒れかけた。そして12ラウンド終了。ボクシングなんてほとんどわからないけど「よしっ、村田が勝ったな」と思ったのにまさかの判定負け。twitterを見てみると「なんで?」の中に「ボクシングの判定ってそういうもの」といった意見がちらほら。素人さんにはわからないでしょうねぇということらしいが、そもそも判定って決着がつかないからどちらが優勢だったかで決めましょうというものだろうに。大多数が村田が優勢と思ったんだから、これは判定の仕方自体がおかしいだろう。WBAの会長が謝罪し、再試合を提案したらしいが、その前にこんな変な判定が出ないように判定の仕方を考え直すべきではないのか?
自分がエンダムだったら恥ずかしくてたまらないな。

家族葬

「家族葬について住職としての見解を聞かせてよ」と親しくしている檀家のAさんから言われて「うん、そうねぇ・・」とあいまいな返事をしたままあっという間に時間が流れた。相変わらず仕事が遅いと思われているだろうなぁと思いつつもなかなか書けない。一言で言えば「お施主さんが好きなようになさればいいんじゃない」というところだ。弔問客が一人だろうと、何百人いようと僧侶として私のやることはかわらない。変わるのはお経のながさぐらいだから。でも、Aさんが聞きたいのはそんな事ではない。「すごく世話になった方が亡くなったのに家族葬だったから知らせも来ず最後のお別れもできなかった。こういうお葬式ってどうなの?」ってことだと思う。私も友人が亡くなって家族葬で送られてお別れができなかった。何だかすごく釈然としないものがあった。なんでなんだろう。色々考えてみたのだが、お葬式って亡くなった人と遺された人が最後に交わす挨拶の場なのかと思う。亡くなってもう二度と会えないということをかみしめながら、「この世を去りますよ、今までありがとう」、参列する人間も、「今までありがとう、さようなら」と。そう考えると、残された家族は故人が生きてきた中で関わってきた方々に感謝してお別れの場を設けてもいいのではないかと思う。葬儀屋さんが言うには家族葬だろうと普通の葬式だろうとお施主さんの出す金額はあまり変わらないそうだ。ただ、人を呼ぶとなるとそれなりに煩わしいことが多くなるのは事実だろう。そうなるとやはりお葬式を出す人がどうしたいかになるのかなぁ。あっ、振出しに戻った・・・。
(これはあくまでも僧侶ではなく一個人としての考えです。念のため。)

ありがたい

この間、嫌な思いをすることが続いた。

名前を名乗らず最初から喧嘩腰でいきなり「お墓の権利を持っているものですが、父がなくなったので権利を返したいのですがどうすればいいですか?」という電話があった。お名前をうかがうとうちに墓所をとり長年きちんとお檀家さんとしてお力添え下さった方の家だった。故人はきちんとご供養していただけたのだろうか・・・胸が痛んだ。

法事に持ってくるものを尋ねておきながらまともに仕度をしてこない家が続いた。悲しい気持ちになった。

こういうことがいくつも続くと暗~いきもちになる。

そんな時にあるお檀家さんが「この間話したお酒持ってきました」とお酒を届けてくれた。法事のあとのお齊の席で「住職、盛升のこの時期にでるしぼりたて呑んだことある?美味しいよ。」「話だけじゃねぇ(笑)」という会話を覚えていてわざわざ持ってきてくれたのだ。お酒が美味しかったのはもちろんその気持ちが嬉しくて、暗くなっていた気分がいっぺんに明るくなった。仏さんが「こういうお檀家さんもいるでしょ」と励ましてくれたのかもしれない。ありがたい。これからも頑張ります。我ながら単純だなぁ。

 

 

土地区画整理

伊勢原北インター開設に伴ってその近辺の土地を効率的に土地利用しようという計画が7年ほど前にだされ、伊勢原市、地権者を中心に「研究会」などの名称で検討が始まった。現在は土地区画整理組合設立準備委員会という名前で進められてきている。「まとまった土地区画整理をするかどうかを検討する」と言っていたのが久々に参加した総会では「事業化検討パートナーを選定する」という話で、すでに土地利用は「産業系(工場など)」が対象と決まっていた。地権者は現在持っている土地の半分位を出し合いその処分金と市の助成金を使って支出をまかない、赤字補てんは地権者だという。区画整理事業をすると土地の評価額があがるらしいが、売る土地のないものにとってはまったく関係ないように思われる。公共施設(上下水道など)の整備が進むらしいが本来行政がやるべきことのように思う。もっと驚いたのは112名中出席28名委任状40名でそのうち38名が会長一任。ということは会長の意見で多数決が決まるということ?この調子ですべて進んでいくのだろうか。あの地域の人たちがそれを望むなら寺としてはあえて反対することもないかと思う。でも、なんだかなぁ・・・。

観光に力を入れているように見える伊勢原市だが何を目指しているのか。都心から近い緑豊かな観光地で売りたいのではないのか。自然の中で癒されようと訪れた観光客がインターをおりて目にする工業地帯に何を思うだろう。

お彼岸

お彼岸でたくさんの方がお参りにみえる。本尊さんをお参りしてそれぞれのお墓をお参りされる。

うちのお寺は境内墓地の他寺から少し離れたところに二か所墓地がある。その一つの墓地には無縁仏塔があり後の供養をする人がいなくなった無縁さんが眠っている。お彼岸に墓地に行くとその無縁仏塔にお線香が手向けられているのをよく見る。「うちのお檀家さんたちは優しいなぁ」と嬉しく思いながら手を合わせる。自分の父、母で二人、そのまた父母で4人、そのまた父母が8人・・・こうして10代さかのぼっただけで1024人になる。私の命のつながってきたもとのたくさんのご先祖様の中にはどこかで無縁さんとなっている人もいるにちがいない。今ある自分の命に、つながってきた沢山の命に、その命を支えてくれたたくさんの命に感謝したい。お彼岸とはそういうことを考える日かと思う。