壺を買う

壺を買う

副住職と交わす冗談に「壺を買う」というのがあります。すごく困った状況に陥った時に「うわぁ、壺買っちゃいそう」という感じで使います。『きのう何食べた?』という、ドラマにもなったよしながふみのマンガの、主人公のイケメン弁護士の母親が自分の一人息子がゲイだとわかって何とかしようと新興宗教に走り壺を買うなどして老後の資金を使い果たすというエピソードから来ています。仏さんの教えは自分の努力の上に祈りが通じるというものだと私は理解しているので、壺を買うだけで自分の思い通りなるというのはナンセンスの極みだと思っています。でも、そういうところに助けを求める人はたくさんいるようです。うちの檀家さんにも何人かいます。この間も某新興宗教の信者でもあるTさんが寺に駆け込んできました。「家に帰ったら家中血だらけでケンカしていた息子たちがいない。怪我をして救急車で運ばれたようだ、どうしよう。ずっと神様にお祈りしていたけどいてもたってもいられなくてきた。」留守番していた副住職があちこち電話しまくって運ばれた病院をつきとめ、私に連絡をよこしました。「Tさんの息子さんたちが救急で〇〇病院に運ばれたみたいだから行ってあげて」私は何だかよくわからないまま外出先から急遽戻りTさんを拾って病院に。病院に着くともう帰ったという。今度は帰ったという息子たちを探しに・・・。という大騒ぎがありました。その日の夜、副住職と話しました。「Tさん、ずっと神様にお祈りしていたんだってさ。」「神様が坊さんを助けによこしたって思ってる?」「・・・・壺買っちゃいそう」