予科練

予科練

朝ドラの『エール』のこの一週間は太平洋戦争戦時下が舞台背景だった。作曲家古関裕而をモデルとする主人公が作曲のため予科練の体験をするという回があった。出来上がった曲が『若鷲の歌』だ。「若い血潮の予科練の 七つボタンは桜に錨 今日も飛ぶ飛ぶ…」

「戦争はどこにいったの?」亡くなった先代(父)がお年寄りと話を始めるきっかけによく使っていた言葉だ。昭和3年生まれの父は親の反対を押しきって予科練に入った。「おれが14の歳には軍隊でもっとしっかりしていた」これもよく聞いた言葉だった。幼くて考えが足りない子供だった私は(自分から戦争に行くなんてバカだな。伯父さんは賢いから医学部に行ったのに)と思っていた。予科練は少年たちの憧れで、優秀なものしか入れなかったとドラマで知って驚いた。(終戦間際の予科練は誰でも入れたようだ。)父が小学生の時の話だ。朝礼か何かの時間で御真影に頭を下げてなければいけない時間があり、けっして頭を上げてはいけないと言われていた。「俺はな、本当にみんなが頭を下げているのか確認したくなったんだ。もし俺が頭を上げてるのがわかったとしたら、わかったそいつも頭を上げてたことになるから絶対怒られないと思って。」たしかに賢かったのかも知れない。国を大切な人を守るため難関をくぐり抜け予科練に入ったことは誇りだったのだろう。

太平洋戦争は父が特攻機に乗り込む3日前に終わったらしい。あと3日戦争が長引いていたら…。

高校時代からの友人たちに「朝ドラで予科練の話が出て父を思い出したよ」とLINEすると、Eちゃんからは「うちの父は医者なら徴兵されても最前線には送られないだろうから医学部に行きなさいと母親が商学部にいた父を医学部に転部させて医者になった」Kちゃんは「うちの父親は原爆投下第一目標だった小倉にいた。目標が長崎に変更になって助かった」とすぐに返信がきた。ちなみにEちゃんの父親は私の伯父の医学部の同級生、Kちゃんは同じ医学部のはるか下の後輩にあたる。何かのご縁で繋がって半世紀近くもつるんで遊んでいる。彼女らは「戦争が無くてありがたい。一生懸命遊ぼう!」とLINEを締めくくった。戦争がない今の日本に育ったことに感謝して生きてることを楽しみたい。

今年は感染症予防のため市の戦没者追悼式典が中止となってしまった。国のため大切な人のために戦争で命を落とした多くの人々がいたことを私たちは忘れてはいけない。感謝して心から冥福を祈る。