お葬式

お葬式

先日、久しぶりに普通のお葬式があった。私の言う普通のお葬式とは来る人を限定しない昔ながらのお葬式。

コロナのせいで家族葬なるものがすごく増えた。ちょっと前までは家族葬というのは犯罪者とか人様に顔向けできないような生き方をしてきた人のお葬式の形だったのではないかと思う。私もすっかり忘れていたのだが年配の知り合いが「私は息子たちに普通のお葬式をしてちょうだいって言ってある。何にも世間に恥ずかしい生き方をしてないから。」と言うのを聞いて思い出したのだ。

テレビCMで「俺のお葬式は小さくていいから」とか何とか言うのがあるが、あれを見るたびにお前は何様?と思う。お葬式に人が来るかどうかはその人がどんな生き方をしたかではないだろうか。父が危篤状態の時、仲の悪い叔父が「どうせお前の親父の葬式になんて人は来ないと思うけど」と言った。お寺の葬式をどうしていいのかよくわからなくて、知り合いのご住職に「叔父にそう言われたのでたいして人は来ないと思うのですが…」と相談したところ、その事を漏れ伝え聞いた方が「何としても参列しなくてはと思って」と言って無理して葬儀にかけつけて下さった。

これはあくまでも私見。葬儀は宗教的な儀式としては人が来ようが来まいがやることは同じ。世間に対してどうするかは別の問題。人は一人では生きていけない。多かれ少なかれ色々な人にお世話になって生きていくのではないだろうか。葬儀はそんなお世話になった方々への最期のありがとうの挨拶の場ではないかと思う。

私がやりたいお葬式がある。御香典なし。お返しもお食事の振る舞いもしない。お茶とお菓子で時間のある人には故人を偲んでもらう。箱を置いておいて葬儀費用をカンパして貰ってもいいかも。本当にお別れをしたい人が来るお葬式。

今回、普通にお葬式をしたMさん。本当に沢山の人がお別れに来ていた。「人徳ですね。」とおっしゃる方がいた。その通りだと思う。